@覚悟としての国語
『”作者の気持ちを考えろ”なんて社会では役に立たない』
こういうことを社会に出てから言わせるために
国語は存在している
@こくごのこ
私たちは須らく国語の子べし
ランドセルの下に叩きこまれたのは
忠君愛国でも平等平和でも
ニノミヤでも松下でも無く
『作者の気持ちを考えろ』である
言い換えれば
『結果より原因を考えろ』である
もう学校の帰り道に未知は無い
少年はただの絶対原因探しマンに堕ちたのだ
世界には結果にしか無い
だから僕は『作者の気持ちを考える』しかない
@絶対の子
『作者』とは教科書に並ぶ人名であり
両親であり教師であり制度であり社会であり
自分以外の全てである
理不尽も隣人も解釈すべきものとしては区別はない
チャイムは鳴ってしまったのだ
@むしろ後塵を愛する
『作者の気持ち』を有難がるかぎり私たちはいつまでも後続車だ
それはけして後継者には成り得ない
事故に巻き込まれることは有っても
自己に目覚めることは絶対に無い
散った華を前にしてその解釈を滔々するものは
地上でも形而上でも栄光に与るところは無い
@W島攻略作戦
『死』を描けばシリアスみたいな風潮、ファックだね
死という甚大な結果には当然、甚大な原因が有るだろう
という国語信者の成れの果てだよ
ゆるゆるほのぼので良いじゃん
美少女動物園でもアホ日常でも良いじゃん
スナック感覚でスナッフするな
翼賛欲しさに悲惨にするな
ということでカミーユ・レヒトの文章を引用してこの話は終わり!平定!!
「はい、にっこりしてください」という言葉は、陳腐な決まり文句と成った
で、今はどうだろう
いまなら、「はい、魂を込めてください」ということになるかもしれない。
図説 写真小史 151頁より引用
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