本当は現場監督を垂れ流してたら、あっ(天啓)と閃いたんですけど
モノが壊れた日と直った日なら、どっちを忘れないのだろうか
あるいは痛みを覚えた日と痛みが消えた日ならどっちを忘れないだろうか
嫌な出来事は覚えていても
『嫌な出来事を忘れていた事』を覚えてる人は少ないのではないだろうか
たとえば虫歯に成った時、頭の中は痛みでいっぱいだけど
虫歯が治れば痛みでいっぱいだったときのことなど綺麗に忘れる
で、何が言いたいかというと
『このバンド売れる前は好きだった問題』はこの理屈で解けると思う
@こっちにも衝撃が来た
何かすごいものに出会った時の衝撃は忘れがたいが
その衝撃が薄れた時のことは定かではない
ちょうど薄れたピークが”売れる”瞬間とかぶるのではないだろうか
あるいは薄れたピークが来ると”売れた”と錯覚するのではないだろうか
何かすごいものに出会って「こわれちゃ~う」ってなったことは覚えてても
時間が経てば「え?そんなの関係ないでしょ」
と有耶無耶になるんだよ悲しいなぁ(諸行無常)
売れたから丸くなったんじゃなくて
受け手のこっちに耐性がついただけなんだよなぁ…
@壊れる=直る
なんか壊れるのも直るのも表裏一体な気がしてきた
どちらも現状への変化としては完全に一致
「これのおかげで元気が出た」ってのは直った日と言えるし
「これのせいでい萎えた」ってのは壊れた日
どっちも強い影響を受けたのは同じ
壊れるほうがマイナスだからダメってわけでもない
壊れちゃうことでブレイクするーしちゃう!こともあるかもしれない
ただ壊れるにしても直るにしてもその期間が短すぎると”直る”印象のほうが強い
たとえば『スマホが壊れたけど叩いたら直った』という出来事は
『スマホが壊れた話』ではなくて『壊れたスマホが直った話』
壊れたことを真摯に受け止めるにはそれなりの時間が必要
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