2015年6月21日日曜日

ウルフ・オブ・ウォールストリート 感想 


ウルフ・オブ・ウォールストリート

 



@マジでよかった

 編集のテンポが良い

 成り上がってから落っこちて…って感じがグッドフェローズ

 ラリって電話取り合うシーンはホント笑い転げた

 安っぽいCM風映像のぶっこみ方も面白い

 

@拝金主義

 ディカプリオ演じるジョーダンは使うためにお金を欲しがってる

 腐れ畜生がする『老後のため』みたいなクソ理由じゃないのが良いすごく良い

 金は欲しがってるけど金の奴隷には絶対成ってない

 ちゃあんと金を乗り回している

 ジョーダンが堕ちたのは薬物とセックスと依存症の三本の矢(アベノミクス)のせいであって

 金のせいじゃない


 ジョーダンを罵るFBI捜査官は自分は金の奴隷ではないと思ってるが

 じゃあコーラを飲む時はどうするんだ?
 地下鉄に乗る時は?
 部屋の電灯が点かなくなったら?

 カネで買うに決まってる 

 本当は捜査官のほうが金の奴隷に成っている
 
 自覚があるだけジョーダンのほうが金を乗りこなせている


 『自分はこんなものに影響を受けていない』と思っているものに人は最も影響される



@働くということ

 ジョーダンの周りはいつも笑顔で満ちている

 カネ目当ての打算だとしても結局は最初に逃げるネズミ達だとしても

 ジョーダンのいる世界は笑いっぱなしの世界である

 このショーの立役者が薬物だとしても

 全てを失いジョーダンが素面に戻ると急に笑う人が減ったとしても

 ジョーダンが働く限り笑う人が生まれていく

 なぜかと言えばジョーダンの居る世界は過程の世界だから

 つまり笑いとは過程だから

 人が笑うのは楽しいからでも悲しいからでも無く

 写真を撮るためでも交渉を優位に進めるためでも無い


 今までは笑えない人生だった

 これからも笑えない人生だ

 だからせめて今だけは笑いたい

 だから笑うのだ

 
 原因も結果も過去も未来も蹴り飛ばして

 今この瞬間の過程(process)としての流れのままに笑うのだ 

 
 捜査官の最後の出演は地下鉄である

 伏線だった『帰りの地下鉄で考える…』場面である

 ここで彼は笑って居ない

 言うまでもないが地下鉄とはど真ん中で過程の隠喩である

 その過程の地下鉄で笑えない彼は

 だから一生、ああやって笑えない人間として生きていくだろう


 道中で笑えない奴がどうして目的地で笑えるだろう

 なるほど、オチを期待しているのかもしれない

 しかしオチが有るのはフィクションだけで

 ノン・フィクションにオチなんてのは無い


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