2015年6月22日月曜日
あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない 第一話 感想
@再視聴だし まずは突き放した感想
夏にセミが鳴いてても『じんたんの止まった時間』感は出ないと思うの
だってみんなに聞こえてるんだから
あとネットスラングとかヲタク文化のなぞり方がほんとに表層的で
そりゃツイッタラーに人気は出るわ
@めんまは幽霊なんだろうか
幽霊の定義は文化によるけど
じんたんにとって、めんまは喋るし触れるし意思の疎通も出来る
これが幽霊だって言うならみんな幽霊だろ!いい加減にしろ!!
めんまが居る限りじんたんの死生観はもうボロボロ
めんまが自宅に帰る場面は本当に残酷で
死者をもう一度殺すような畜生行為にしか見えない
あと冷めた家庭描写がド下手くそ
@ゆきじん
じんたんの『めんま』発言にブチ切れるゆきあつに胸熱
やっぱ好きなんすねぇ…
@あなるが爪を見つめる場面
あれはどういう意味なんだろう
「マニキュアしたのに気づけよ」ってことだろうか
あるいは
「じんたんに会うからってマニキュアした私バカじゃないの(呆れ)」
っていう照れなんだろうか
それにしても、あなるってアダ名は秀逸
これで「アダ名を呼び合うのが恥ずかしい」ってのを力づくで説明してるから
あなると呼ばれる限り安城はじんたんだいしゅきメガネ女児に戻る
あなると呼ばれるたびに安城は「あの夏」に貼付けされる
アダ名とは呪いでもある
アダ名で呼ぶことは安城ではなくあなるとして存在しろと命じていることだから
@変化 みっともない ギャップ
あなるはじんたんの変わりようをみっともないと切り捨て
じんたんは俺もお前らも変わったと腐る
ぽっぽは人妻のギャップに萌える
変化に対しての三者三様ですね
あなるは『人は変われる。変化しないものはクソ』って考えで
じんたんは『人は変わるべきじゃない。変化する奴はクソ』
ぽっぽは『人は変わる。でも戻る』ことに興奮している
@あなるの変化観 一話の段階
昔は輝いてたじんたんが落ちぶれてガッカリ
今は輝いてる私サイコー
人は変われるんだから、じんたんもあの頃にもどって><
変化に関して肯定的に見えるけど
プラスの変化しか肯定してない
変化オールオッケーなら屑化したじんたんも認めるべきなのに
あなるは『あの夏』の輝いていた、じんたんしか望んでいない
そういう意味では、あなるも、まだ『あの夏』に縛られている
@じんたんの変化観 一話の段階
昔は輝いてた自分が落ちぶれてガッカリ
今は輝いてる他の奴らサイテー
変わるような奴はクソ、この世界が『あの夏』に戻ればなぁ
じんたんは変化を憎んでいる
『めんまに謝れる明日』を渇望しているが
それは過去にしか無い
なぜなら謝ることは過去を消すことだから
めんまに謝りたいだけなら冒頭で謝ってる
じんたんにとってはめんまへの謝罪はまだ口実で
ただ単に自分が輝いていた『あの夏』に戻りたいだけ
今 この瞬間に存在するめんまよりも『あの夏』のめんまに会いたがっている
言うまでもなくじんたんは『あの夏』に縛られている
@ぽっぽの変化観 一話の段階
人は変わる 自分の体型がその証明だ
人は戻る 自分の現在位置がその証明だ
ぽっぽは髪型も体つきも『あの夏』の頃から、ガラッと変わった
これは変化の体現である
変貌を遂げたぽっぽは、あの『超平和バスターズ』の小屋に戻ってきた
これが人は戻ることの体現である
ギャップに萌えるとは変化の前後を維持することだ
変わってそのままならギャップは無い。
乱れた団地妻が翌日は素知らぬ顔で旦那の弁当を作るから萌えるのであって
ずっと乱れっぱなしなら団地妻の設定の意味が無い
非エロがエロいという興奮は常に非エロという前提を持つ
つまり変化する前を前提にして初めて成り立つ興奮なのだ
ぽっぽが変化に関しては、一番達観している。
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