2018年11月10日土曜日

疎外と物象化と田中角栄とハロウィン

@そういう時もある

 最近は漫画を読むときは

 この作品は疎外と物象化だったらどっちだろうと思いながら読んでる

 宮台真司の言葉を借りるなら

 この作品は『ここではない、どこか』を目指しているのか、いないのか

 BLで言うなら

 「エスケープジャーニー」は『ここではない、どこか』を目指している疎外サイド

 「ヤリチン☆ビッチ部」は『ここではない、どこか』なんか信じてない物象化サイド

 だから「エスケープジャーニー」は好きになれない

 現状の幸せに見向きもしないで必死に未来へと『名前』をつけたがるのがよくわからん

 
 田中角栄は疎外or物象化の彼岸の人

 人はメシとカネで生きると思ってる人

 定期的に来る角栄ブームはつまり思想的対立への疲れ

 『ここではない、どこか』なんか信じてないんだから物象化サイドっぽいけど

 角栄の場合は、本能でそう思ってるから、やっぱり彼岸の人

 俺はメシとカネをやる。お前らは黙ってそれを貰う

 人間はそれで良いんだ。という生臭い善意の塊のようなオヤジ

 親戚に1人は居るようなオヤジ

 こういう関係は頭も心も使わないから楽だけど楽しくはない

 やってみれば(もしくは、やられてみれば)わかるが

 メシとカネだけの関係は息苦しい

 非常に息苦しい。まるで家族みたいだから

 家族というものはそれ自体は息苦しいものなのだ。

 それだのに人類が存続できたのは『家族は素晴らしい』という建前を守ってきたからだ

 角栄タイプのオヤジは、それが建前だと気づかない。

 家族の本質は『メシとカネ』だと思っている

 それは違うのだ

 家族の本質は『家族は素晴らしい』という虚しい建前の方である

 人はメシとカネのためには死ねない。

 当たり前である、メシとカネは生きるために求めるのだ。

 人が命を賭けられるのは建前だけである


 ハロウィンで若者が騒ぐ元気があるのは

 ハロウィンが建前だからだ

 あれが『若者の貧困問題についてのデモ』だったら絶対に車なんかひっくり返らない

 中高年があの騒動に眉をひそめるのは彼らにはハロウィンという建前が見えないからだ

 歳を取るとはそういうことなのだ

 そして建前のために騒げるのは若者だけなのだ

 若い頃は角栄を叩いて奴らが加齢と共に『角さん』などと言い出すのも

 角栄ブームなどと言っても立ち読んでるのはオッサンばかりというのもこれで納得いただけると思う。 

 建前が見えなくなると『メシとカネ』しか残らなくなる

 そして政治にまで家族を求める

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