2015年7月26日日曜日

あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない 第10話 『花火』 感想

@じんたんの変化観

 よく考えたらじんたんの移動手段はずっと徒歩
 
 電車にも乗らないし
 
 めんま家への招待状ポスティングも徒歩だし

 開始数秒の時点でじんたんはずっと変わってないという表明になっていた…!?



@同じことを繰り返す

 めんまと過ごした最後の思い出を

 めんま抜きで再現する

 めんまの儀式化・お祭り化

 あらゆるお祭りはすべて『忘れてはいけないこと』の再現である

 言葉として残すのはリスクが高すぎる

 そこで儀式として体を動かす行為として残すのがお祭や儀式の意義

 ゆきあつとあなるは自分自身の供養のために『あの日』の再現を決行した

 自分の気持に踏ん切りをつけるために

 じんたんに『自分が聞きたい言葉』を言わせるとか…たまげたなぁ

 


@関係

 人間関係というのは複雑なもので

 それは関係というのが複雑だから

 人間自体は単純でも関係は無限大だから


 ポジションはそれ自体で有るものじゃない

 ピッチャー独りじゃ野球は出来ないし

 キーパーだけじゃ試合は始まらない

 ポジションとは関係の網の目の上に成り立つものだから

 誰かを無くせば、そのポジションにつけるってものではない

 誰かを無くせば、そのチーム自体が瓦解するほうが多い


 めんまが居なくれば

 めんま=じんたんに愛されるポジション に自分が着くと考えたあなる


 しかし、実際にめんまが居なくなると

 『じんたんに愛されるポジション』もめんまと一緒に消えてしまった

 
 なぜなら、めんまが消えたことで
 
 超平和バスターズという大枠が消えてしまったから

 その大枠の中でしか『じんたんに愛されるポジション』は存在しなかったから



@あなるとゆきあつ と じんたんとめんま どうして差がついたのか 慢心、環境の違い

  あなるとゆきあつが『○○が消えれば、自分が○○の代わりに愛される』

  と素朴に考えたのは

  超平和バスターズは絶対に消えたりしないと信じていたから

  構成員が変わっても時が経っても超平和バスターズは無くならないと信じていたから

  

  彼らとは逆に

  じんたんとめんまは『誰かが消えたら、超平和バスターズは消える』と理解していた

  弟が超平和バスターズの集いに参加するのを

  めんまがやんわりと拒否したのは

  弟という異物が入ったら『超平和バスターズ』が崩壊するのを理解していたから

  共同体を守ろうとした二人共同体の崩壊を信じなかった二人


  




@代わりなんて居ない

 ハイデガーが言ったように

 誰かのために死ぬことは出来ても

 自分の死からは絶対に逃れられない

 『命だけは助けてやる』にまさる皮肉を私は寡聞にして知らない


 だから、つるこが言うように

 めんまは『成仏させないといけない』

 めんまの死はめんまにしか引き受けられない

 めんまの居た場所はめんまにしか許されない

  


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