2015年7月26日日曜日
あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない 最終話 『あの夏に咲く花』 感想
@よかった。
最初に観た時は最終話は
ちっとも泣けなかった
2周目の視聴はまず泣かないと思ってたけど
いざ観たらボロ泣きした
2周目はなるべく意地悪な視点で見ようと
突き放して見ようと思い
各話の感想も悪く書いたほうが多い
それでも一周目よりは『考えながら』観たのは間違いない
泣くつもりも無かったのに泣いた
やっぱりアニメって素晴らしいですね(素直)
@めんまの願い事にこめた事
めんまの願い事が『じんたんを泣かすこと』(ネタバレ反転)だとしても
それのためにめんまが蘇ったとは思えない
めんまが現れたのは
じんたん母に『じんたんを泣かすこと』を頼まれたからだと思う
前回書いたように人の死を代わることは出来ないが
死に逝く人の頼みを聞くことは出来る
大事なのは頼み事の内容ではなく
頼まれたことそれ自体なのだ
@正面から君を見た
じんたんが、あなるのつけまつげを指摘する場面は
ついに、じんたんがあなるの顔を見たってことなんだろう
この瞬間に、じんたんの呪縛は溶けた
逆説的だが
じんたんが”めんま”のことをめんまの気持ちになって考えたことで
じんたんは、あなるのことも正面から見ることが出来た
@かくれんぼ
かくれんぼとは
相手が居なくても出来る遊びである
かくれんぼとは
鬼が居ないならずっと隠れ続ける遊びである
かくれんぼとは
隠れる者が居ないならずっと探し続ける遊びである
かくれんぼとは
そこに居ないものを探す遊びである
かくれんぼとは
鬼の前から消えていたものを見つける遊びである
かくれんぼとは
失ったものを取り戻す遊びである
かくれんぼとは
『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』そのものである
@本当によかった。
『めんまが成仏する』ことと『あの花はこの回で終わる』ってのがリンクして
そのことが感情移入してこうぶわーっと来ちゃったね
『悪口ばっか書いたけど、これで終わりなんだよなぁ』と思うとセンチメンタルになっちゃって
まだまだだね(ETZN)
じんたんは変化を憎んでいる
ゆきあつはじんたんのことが好きだった
という目線でずっと見てみたのも面白かった
あとは物象化論とか役割理論とか村上春樹の配電盤とか
一周目では知りもしないことを知ってから観たから
その分、より深く味わえた
結論として
『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』は好きなアニメでした
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