2016年7月17日日曜日

真田丸 第28回 『受難』 感想

@死神 茶々

 茶々はあそこに秀次が隠れてるの絶対にわかってたんだよ

 わかってて『殿下!殿下!』連呼したんだよ…

 確信犯だよ…

 『あそこに関白が居るなんて普通は思わないだろいい加減にしろ!』

 って反論も有りえるけど

 それはそれで茶々は死神すぎでしょ

 無意識だとしても人を死に追いやるってもうそれ半分死神でしょ…


@七本槍とかいう

  平野 片桐 無能 

  平野とかいう騒ぐか愚痴しか言わない無能

  ほんとひで
  
  片桐とかいう『俺辛い』アピしかしない無能

  ほんとひで

  こいつらもイエスマンやるなら死ぬ気でIKEA

  上司がミスしたぐらいでやめるイエスマンなら最初からやめちまえ

  そんでイエスマンで有ることの辛さを自分より下の立場の人間に言うなよ!

  それでもサムライか女々しいわ

  メス侍が!(新ジャンル)


@たか、ルソンへ

 ルソンに逃がしたというか

 面倒くさいからルソンに追いやったとも言える

 助左衛門も『弱者の味方です』っていうなら

 娘子を海外に飛ばす信繁に罵声の一つも浴びせていいと思う


@秀次が僕達に伝えたかったこと

 太閤に殺されると恐れた秀次が自殺をするのは納得出来ない

 死にたくなくて聚楽第を出たのになぜ自ら命を絶ったのか? 
 
 自分が死ねば親類にも禍が及ぶとわかっていたなら

 なぜ死んだのか?

 これ以上秀吉に振り回されるのが嫌だから死んだのだろうか?

 秀吉は秀次を『一人前の男にしたかった』と泣いて悔やんだ

 秀吉は秀次を”息子”と考えていたに違いない

 秀吉と秀次の確執は

 父の期待が重荷になった”息子”と置き換えていいのだろうか

 秀吉の”息子”たちが尽く不幸な結末を迎えたのは

 この秀吉の期待のせいなのだろうか


 死ぬ間際の秀次に

 父で有ろうとした秀吉への恨みは見当たらない

 『息子に恨まれる』ということすら父にとっては心地良いと気づいたからだろう

 父子ゲームでは息子役に宛てがわれたプレイヤーは構造的に負ける 

 恨もうが殺そうが息子は息子である

 息子が父を殺した所で父に成るわけではない

 息子が息子をやめるには子供を作るしか無い

 息子は別の息子を巻き込み『父』に成ることで、やっと息子から脱却できる

 だがそれは呪いの再生産に過ぎない
 
 
 私達が秀次の行為を理解できないのは

 私達が相変わらずこの『父子ゲーム』のプレイヤーだからだ

 秀次が死んだのは事実だが

 『秀次が何故死んだのか』は解釈の問題だ

 そして私達は秀次が何故死んだのかと解釈するときに

 彼と秀吉の関係を考慮しないわけにはいかない

 秀次の死が突きつけるのは

 私達もまた『父子ゲーム』のプレイヤーであるという残酷な現実である

 だがそれは秀吉にとってはどうしても必要な『素敵な幻想』であった 

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