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2018年9月22日土曜日

少女革命ウテナ 第34話 感想 神回

@影絵回

 あの影絵は劇団カシラという女学生二人組がやってたのか

 黒薔薇編の時の号外ちゃんも来て影絵オールスターはなんかテンソンあがるわ


@薔薇物語

 劇中劇で大胆に”解釈”を与えてくるのは賛否両論だとは思うけど僕は好きです(半ギレ)

 劇団カシラの薔薇物語と王子様が語る『薔薇の物語』が正反対な内容なのも続々する

 話は同じなんだけど解釈がね…


@お姫様に成れない女の子

 王子様の妹は、王子様のお姫様に成れない

 お姫様に成れない女の子は、魔女に成るしか無い

 魔女=薔薇の花嫁=アンシー

 王子様=暁生

 この解釈を植え付けてからの王子様による『薔薇の物語』で急転直下

 みんなの王子様に成る苦しみから王子様を救うために

 王子様を封印することにした女の子

 彼女はみんなからは『魔女』と呪われた

 王子様は世界の果てに成った(????)

 そして彼女の苦しみだけが残った

 薔薇の花嫁のビジュアルは鳥肌立った…


@セカイ系以前に与えられたセカイ系へのアンサー
 
 「君と僕」の関係性から始まる(そして終わる)セカイ系

 『薔薇の物語』が突きつけるのはセカイ系からはじき出されたモブ達の呪い

 その呪いが「君と僕」を呪い殺す話

 王子様は私だけのものだが、みんなのものだ

 この説明だと足りない


 「王子様は私だけのものだ」と信じている者は「みんな」として認める

 しかし「王子様は王子様のものだ」と気づいている者は「魔女」として呪う

 「王子様は私だけのものだ」と信じている者たちは王子様を取り合う

 そこで争われるのはモノとしての王子様であって

 王子様の気持ちなんか一切争われていない

 王子様は身も心も「みんな」のモノなのだ

 この「みんな」という枠組みを壊すのは「王子様は王子様のものだ」と気付いた者だけだ

 「魔女」は王子様を独り占めするから、憎まれるのではない

 「魔女」は「みんな」が信じている薔薇物語を壊すから危険なのだ

 共同体が共同しているのは、何らかの物語だ

 つまり「魔女」が壊すのは「みんな」自体なのだ

 王子様が獲られるのが恐ろしいのではない

 物語を獲られ、共同体を壊されるのが恐ろしいのだ

 つまり呪うときですら、「みんな」は王子様のことなど考えていない


  

2018年2月11日日曜日

ヤンチェリキッス! 感想 ~真心と作法について~

@すげえのが来た

 
安堂ろめだ(著)

@内容

 チェリーパイ学園という地域有数のバカ学園で繰り広げられる

 セックス!学ラン!オラオラからのアヘアヘ!

 チェリーパイファックをする→される四天王の一人”破壊神”恩田臣と

 兄貴の復讐という大義名分をすっかり忘れてパコるに耽る入間丈による頭パーコンビのお話と

 ラブレター(陰毛)を巡って大痴話喧嘩する幼馴染CPのお話の二本立てだよ!

 ギャグが、ちゃんと笑えるBL

 この一点だけでも男子におすすめ
 

@一昔前のネットの空気

 ネットスラングのチョイスの仕方が良い

 このご時世にMUSASHI-GUN道-ネタいれるセンスが好き

 この漫画の風通しが良いのは真心と作法だったら

 作法を大事にしてるから


@真心と作法

 
浅羽通明(著)

『野望としての教養』に真心と作法はどちらが大事かという考察が有る

 浅羽は社会や共同体のことを考えるなら作法が大事だと言う

 作法より真心を大事にする社会とはストーカーを良しとする社会だと彼は断じる

 付き纏ったり贈り物をしたりの迷惑行為も真心からしたなら許されてしまうからだ

 ヤンキー文化とは作法の文化
 
 学ランに細工をしたり髪を染めるのは自分の見てくれを気にしているからだ

 自分がどうあるかという真心よりも、どう見られたいかという作法を大事にしている

 ナメられることを極度に嫌う=恐れているのは

 『俺はヤンキーなんだ』という自分の真心なんか信じていないからだ

 ヤンキーなんだ、という真心よりも ヤンキーらしい作法を取る

 それがヤンキー文化圏


@これが作法だ

 丈はヤることヤッといて、何が作法だと思うかもしれないけど

 カレピに成るために、臣の同意を一応ちゃんと待ってる

 ふみは真心から圭宛てのラブレター(陰毛)を開いてしまう

 ふみは『恋人が心配だから』勝手に見たと真心で推すが圭は許さない

 圭は人の手紙は勝手に読まないという作法を優先する

 真心の塊のような伊勢島は臣のブタには成れなかった(=臣は女王様に成ってくれなかった)

 歩く真心のストーカー(暗殺者)はふみにぶっ飛ばされた

 ストーカーは問う、ふみと俺の何が違うのかと

 ふみは答える

 『俺はちゃんと気持ちを伝えたぜ』と、 

 言わなくてもわかるだろの真心と

 言わなきゃわからないだろの作法

 そんで作法が勝つ
 
 そういう漫画

 真心を優先するってのは自分の気持ちを優先するということ

 作法を優先するってのは相手の気持を考えるということ

 どっちが良いかなんて言うまでもないでしょ


@敗れた真心へのアドバイス

 フラれた伊勢島に『とっとと諦めて次行きなよ』と諭す丈
 
 当て馬にアドバイスする展開って、なっかなか無いよ

 フラれた自分を認めたくなくて、Mを演じる人は多い

 嫌われている現実を一種のプレイと読み替えるのは精神衛生上必要かもしれない

 読み替えるだけなら害は無いが、押しつけ(SMおせち)になると害になる

 真心をぶつけることは害になる

 真心モンスターに成った人間への対処としては
 
 勝ち目の無い現実をまず見せて、少しの思い出を持たせて

 『とっとと諦めて次行きなよ』と言うしか無い

 丈って、やっぱ良いやつだよ


@大人になるということ

 チェリーパイファックが通過儀礼だとしたら

 四天王達はうっかり勝ったが故に大人になり損なってしまった 

 丈と出会い敗北を知ったことで臣は、やっと大人になれた

 ふみと圭はストーカーの件でお互い負けることで(強引)大人になった

 ZEUSこと和海だけが敗北を知らない

 彼が屋上というオリュンポスから降りるのはいつの日か・・・

 負けるというのはボンタン狩りされるという具体的な話じゃなくて

 世の中というのは自分の気持が優先される場所では無いと知ることだ

 つまり真心なんか通じないのが世の中だと知ること

 勝ち続けるうちは大人になれない

 『風林火嶄』で「攻校生ということ 勝ち続けるということ」と書きつけられていたのは

 勝ち続けるうちは攻校生という子供のままなんだって意味なのかなって思った

    
@こんな人におすすめな漫画

 ヤンキーもの好きな腐女子におすすめなのはもちろんだけど

 社畜(♂)はガチで読め

 「外面(作法)が良いやつばっか成功しやがって、なんで俺の真心が通じねえ…」

 とか思っちゃってる社畜はガチで読め

 世の中は気持ちじゃ通じないから、行動ですから

 そんで丈の言葉責めを見習って一緒に次期四天王を目指そう

 入学したい高校がまた一つ増えました

2017年6月18日日曜日

『ヤリチン☆ビッチ部』と『けものフレンズ』は何と戦っているのか  ――vs本当の自分

@本当の自分(属性:呪い)

 ”本来”の私はこんな人間では無い

 ”本来”の私はもっと活き活きしてもっと豊かでもっと幸福なはずだ

 今の私は”本来”の私ではない

 だから私は”本来”の私を探す

 そう、『本当の自分』を探す

 自分探しの旅の始まりである

@かばんちゃん で !!

 かばんちゃん、という名前はサーバルが与えた

 かばんちゃん、と呼ばれた女の子はそれを素直に受け入れた

 彼女が『本当の自分』というものに、こだわりを持っていたら

 「私の名前は”かばんちゃん”ではない。それは本当の自分ではない」(自撮りしながら)

 と叫んでから自分探しの旅を始めていたはずである(SNS実況付き)

 あるいは図書館で博士に、自分が『ヒトのフレンズ』と教わった時に

 「私の名前は”かばんちゃん”ではない。それは本当の自分ではない」(自撮りしながら)

 と叫んで、かばんちゃんという名前を捨てていたはずである(SNS実況付き)

 しかし彼女はそうしなかった

 彼女は「かばんちゃん」という名前を受け入れた

 望んだわけでもないし、元になった動物の名前でも無いのに受け入れた

 本当の自分でも、ありのままの私でもない、その押し付けの名前を受け入れた

 かばんちゃんは何故かばんちゃんの名前を受け入れたのか?

 なぜなら、その名付けを断ったらサーバルとの絆が絶たれると直感したからだ

 『他者から呼ばれた名前こそが私の名前なのだ』

 その不条理な宣告に同意したものだけが人に成れると直感したからだ


@名付け

 名付けを受け入れることは役割を引き受けることだ

 誰かを呼ぶのは、必要だから呼ぶのだ

 助けてほしかったり慰めてほしかったり叱ってほしかったり

 何かを頼みたくて呼ぶのだ

 名付けを拒否することは役割を拒否することだ

 名前のないものを呼ぶことは出来ない

 だから名前のないものは何の役割も引き受ける必要がない

 いや、引き受けることが出来ない


@ヤリチン☆ビッチ部

 やっちゃんにとって『本当の自分』とは加島優のことだった

 加島みたいな人気者に成りたかった

 だから自分を偽って、成りたい自分を演じていた

 しかし、その演技も遠野の前で馬脚を現した

 やっちゃんは、認めたくない方の『本当の自分』を晒してしまった
 
 遠野はやっちゃんが猫をかぶっていことにショックを受けたが

 好き度は減らなかった

 やっちゃんが捨てたかった『私』、つまり『加島みたいな人気者では無い私』を遠野は受け入れた

 だから、やっちゃんは、救われた

 本当の自分という呪いにかからずに済んだ

 いま ここ のやっちゃんを遠野が受け入れたことで

 矢口恭介の自分探しの旅は終わった
 
 矢口恭介が最も恐れていたのは、お化けなんて可愛いものではなく

 『本当の自分』という呪いのことだ

 
@呪い

 本当の自分 と ありのままの私 は別のようで一緒である

 それは我慢の拒否である

 いま ここ に有る自分を我慢することの拒否である

 ここではないどこかに本当の自分が有る

 押し付けられた私を我慢しないで、ありのままの私を晒せばいい

 そうやって現に与えられている私というものを耐えられない状態

 それが自分探しの旅へと駆り立てる

 どんな人にも終生の友人が二人居る

 それは、いま と ここ である

 彼らは『どこ』に行こうと必ず人に付いてきてくれる

 だから、いま ここ に有る自分を我慢出来ない人間は

 一生、自分を探すことになる


@セルリアン

 セルリアンに食べられたフレンズは動物に戻る

 つまり、ありのままの私に戻る

 ありのままの私=動物には共通言語も記憶も無い

 つまり社会との交流を完全に絶った状態

 名付けを拒否し役割を捨てた、ありのままの私とは

 そういうものに成るのである

@10年代のテーマは現状維持

 いま ここ の私を受け入れる

 与えられた名前と押し付けられた役割を引き受ける

 そして当座の世界(いま ここ!)を動かしているものを守る

 具体的には困っているフレンズを助ける

 そういう地味な、ひたすらな地味な作業こそが人の仕事なのだ

 裏を返せば

 いま ここ の私を受け入れ無い

 与えられた名前と押し付けられた役割を引き受け無い

 そして当座の世界(いま ここ!)を動かしているものを壊す

 具体的には笑っている支配者を挫く

 そういう派手な、ひたすらな派手な偉業こそがヒーローの仕事なのだ


 けものフレンズブームは癒やしを求めたものではなくて

 ヒーローに頼らず、とりあえず自分たちでやって行こうとする成熟が呼んだものだ

 ヒーローを求める社会とは、もはや破綻した社会なのだ 

2017年5月27日土曜日

『速攻生徒会』とヤリチン☆ビッチ部 考察

@速攻生徒会とかいう神漫画
 
 

 速攻生徒会が一番好きな漫画です

 何もかもが好きです

 どこが好きか説明できないくらい好きです(加島リスペクト)

@なんとか説明してみる

 学園バトルという要素

 生徒会vs他校の生徒会という集団戦

 生徒会vs風紀というやわらか権力闘争

 百合

 格ゲーネタ

 あたりが好き要素だと思うんだけど

 この要素をすべて満たしたからって速攻生徒会が出来ると思ったら大間違いだからな!(豹変)

 こうやって腑分けしてもやっぱり説明に成らないね

 今日読み返したけどやっぱりこの思いは説明出来ない

 好きとか評価とかそれ以上の何かを速攻生徒会から受け取ってしまったと思います 


@ヤリチン☆ビッチ部と絡めて考える

速攻生徒会とヤリチン☆ビッチ部(以下ヤリ部)の類似性を考察してるのは俺だけだと思うので後世のためにも(?)何とか書いてみます

 速攻生徒会は格ゲーをパロった漫画です

 格ゲーは対戦相手が居ないと始まらないゲームです

 CPUだろうと対人だろうと相手がいて初めてラウンドワンです

 格闘ゲームとは構造的に人を求めるゲームなんですねぇ…

 速攻生徒会の面々も売られたケンカは即買う人たちですし

 副会長に至っては売られなくても買う人ですし

 つまり闘いたいから人を求めているのが速攻生徒会で

 ヤリたいから人を求めているのがヤリチン☆ビッチ部
 
 お、これは似た者同士ですね

 どちらも不特定多数とヤるんですけど

 仲良くなるのは名有りキャラだけで

 モブとは一期一会なのも共通項

 一番共通してるのは速攻生徒会もヤリ部も

 馴れ合いたくて人を求めているわけでは無い


@学校という舞台装置

 ヤリ部1巻の限定版冊子の何がときめいたかと言うと

 卒業生の存在です

 今はなき先代3年部員の存在です

 ああいうのが有るとヤリ部にも歴史があったんだなあとシミジミ出来るのです

 速攻生徒会の場合は次代メンバーがこれに当たると思います

 今のままがずっと続くわけではない

 学園漫画の醍醐味はサザエさん時空では無くてこの進級システムにあると思うんだけど、お前どう?

 速攻生徒会で時間軸を考える場合は当然、風林火嶄は外せないし

 真田梨香とか風魔とか彼女らの存在もときめきますね・・・本当に

 まとめると速攻生徒会もヤリ部も時間による変化(つまり成長)にたいして前向きな所が似ていると思う
 

@人物

 このアナロジーに気づいたからこの記事を書こうと思ったんですが

 本田愛と服部菜桜子は幼地味

 加島優と矢口恭介は幼地味

 服部は本田にライバル心を燃やしている

 矢口は加島にライバル心を燃やしている

 服部は初登場時は本田愛に変装している

 矢口は初登場時は(加島のキャラを)変装している

 ね、似てるでしょ?(強引)

 本田も加島も相手が自分に嫉妬している自覚が無いのも似ている

 服部も矢口もがキーワードになるキャラなのも似ている

 これは次代を超えたシンクロニシティですわ

 今後のヤリ部が速攻生徒会の展開の通りになると仮定すれば

 矢口は加島と敵対する勢力に与するも
 
 加島の言葉に感化され加島の窮地に駆けつけ加島を助けて

 真の巨悪に対して加島と共闘

 そして・・・

 こっから先は速攻生徒会のネタバレになります


 矢口は加島の”役”を立候補して加島を殴ってお終い

 これは自信がある

 最終回は間違いなく文化祭になる

 文化祭の出し物(劇)エンドに成る

 賭けてもいい


@予想される反論
 
1『そもそも主人公のタイプが違うだろいい加減にしろ』

 仰る通り。速攻生徒会の主人公は本田愛ですがヤリ部の主人公は遠野

 本田と遠野じゃ共通点が無い

 なのでここでは見方を変えて実は遠野は主人公じゃなかった説を取りたい


2『じゃあヤリ部の主人公は誰なんだよ』

 矢口恭介

 裏を返せば速攻生徒会の主人公は服部菜桜子

3『BLと学園バトルは全然違うだろいい加減にしろ』

 ヤリ部の部員同士の絡みも一種の能力バトルと読み替えれば問題ない

 あるいは速攻生徒会の能力バトルも一種のプレイと読み替えれば問題無い

@服部菜桜子と矢口恭介

 服部は、本田によって忍法帖(雑誌の付録)を燃やされている

 服部はこの怨みを晴らすために本田に付き纏っている

 服部の人生は本田によって狂わされたと言っていい

 矢口は、加島によって劣等感を植え付けられる

 矢口はこの怨みを晴らすために遠野に付き纏っている

 矢口の人生は加島によって狂わされたと言っていい(?)

 服部も矢口もライバルによって規定されているわけだね!

 もっと言えば依存しているんだね!

@敵

 速攻生徒会の敵は”管理”です

 枠組みを押し付けてくるもの

 主人公は敵を倒し、皆を救うものという枠組みを押し付けてくるもの(真田家長男)

 ヤリ部の敵は未だに無い

 貞操観念?

 潜在的なヤリ部の敵は加島と遠野だと思う

 つまり遠野は真田家だった…!?あるいは遠野=石田???


 速攻生徒会では終盤に真田洋孝によって『調整』されたモブ生徒集団と本田が戦う展開になるはずでした

 しかし、本田はモブ生徒集団の戦いよりも宿敵である真田梨香との闘いを優先します


 強引にアナロジーを働かせると

 セカイ(学校)を救うためのモブとの戦いよりも宿敵(とも)との闘いを優先した本田

 これをヤリ部に翻訳するなら
 
 セカイ(学校)を救うためのモブとのセックスよりも遠野とのセックスを優先した加島

 に成る、のか?

@つまり

 ヤリチン☆ビッチ部は3巻で終わると予想

 最後はオールスターで大乱交だーってなるけど

 加島は遠野との闘い(意味深)を優先すると思います


@届け、やっぱり届くな

 この記事で速攻生徒会とヤリチン☆ビッチ部の魅力が何とか皆に届けば良いなと思います

 ここまで強引な読み方も出来る可能性に満ちた漫画たちです

 ほんとすこ