@すき
平成を振り返る
平成のTVゲームで一番好きなものはタクティクスオウガです
ラブ・アッパーも大好きですけど
やっぱりタクティクスオウガは別格なのです
『運命の輪』を振り返るつもりで
ちょっと触ったらやめるつもりでPSP点けたんですけど
今の今までずっとやっちゃうぐらいに面白いです
そりゃ育成システムの変更には納得行かないけど
なんかね、そういうことじゃあないんだよね
このゲームは
タクティクスオウガにドハマリしたけど
SRPGが好きになったかと言うと、そうでもなかった
中世ファンタジーも好きにならなかったし
民族紛争にも食指が動かなかった
タクティクスオウガの何が好きなのか
未だに、ちゃんと説明できない
これと同じ事態を引き起こしてるのが『速攻生徒会』
というか小川雅史の漫画全部
好きなんだけど、その『好き』を上手く説明できない
シナリオも面白いし
ドット絵は芸術を超えるぐらいにうつくしい
システム周りも完璧。
パネルひとつに説明文が有る極上使用
まるごとひとつの世界を構築している
奇跡みたいなゲームです。
没入感=すき。ってことだろうか
違う気がしますね
没入感よりも共闘感にやられたと思う
一緒に戦っているという夢を見れたから
こんなにもタクティクスオウガが好きなんだと思う
「プレイヤーが動かさないとキャラも動かないんだから当たり前だろ」
と仰るかも知れませんが
その当たり前が難しいのです
令和でも、素敵なゲームと出会えますように
ありがとう平成
お疲れ様でした陛下。
2019年4月30日火曜日
2018年11月10日土曜日
疎外と物象化と田中角栄とハロウィン
@そういう時もある
最近は漫画を読むときは
この作品は疎外と物象化だったらどっちだろうと思いながら読んでる
宮台真司の言葉を借りるなら
この作品は『ここではない、どこか』を目指しているのか、いないのか
BLで言うなら
「エスケープジャーニー」は『ここではない、どこか』を目指している疎外サイド
「ヤリチン☆ビッチ部」は『ここではない、どこか』なんか信じてない物象化サイド
だから「エスケープジャーニー」は好きになれない
現状の幸せに見向きもしないで必死に未来へと『名前』をつけたがるのがよくわからん
田中角栄は疎外or物象化の彼岸の人
人はメシとカネで生きると思ってる人
定期的に来る角栄ブームはつまり思想的対立への疲れ
『ここではない、どこか』なんか信じてないんだから物象化サイドっぽいけど
角栄の場合は、本能でそう思ってるから、やっぱり彼岸の人
俺はメシとカネをやる。お前らは黙ってそれを貰う
人間はそれで良いんだ。という生臭い善意の塊のようなオヤジ
親戚に1人は居るようなオヤジ
こういう関係は頭も心も使わないから楽だけど楽しくはない
やってみれば(もしくは、やられてみれば)わかるが
メシとカネだけの関係は息苦しい
非常に息苦しい。まるで家族みたいだから
家族というものはそれ自体は息苦しいものなのだ。
それだのに人類が存続できたのは『家族は素晴らしい』という建前を守ってきたからだ
角栄タイプのオヤジは、それが建前だと気づかない。
家族の本質は『メシとカネ』だと思っている
それは違うのだ
家族の本質は『家族は素晴らしい』という虚しい建前の方である
人はメシとカネのためには死ねない。
当たり前である、メシとカネは生きるために求めるのだ。
人が命を賭けられるのは建前だけである
ハロウィンで若者が騒ぐ元気があるのは
ハロウィンが建前だからだ
あれが『若者の貧困問題についてのデモ』だったら絶対に車なんかひっくり返らない
中高年があの騒動に眉をひそめるのは彼らにはハロウィンという建前が見えないからだ
歳を取るとはそういうことなのだ
そして建前のために騒げるのは若者だけなのだ
若い頃は角栄を叩いて奴らが加齢と共に『角さん』などと言い出すのも
角栄ブームなどと言っても立ち読んでるのはオッサンばかりというのもこれで納得いただけると思う。
建前が見えなくなると『メシとカネ』しか残らなくなる
そして政治にまで家族を求める
最近は漫画を読むときは
この作品は疎外と物象化だったらどっちだろうと思いながら読んでる
宮台真司の言葉を借りるなら
この作品は『ここではない、どこか』を目指しているのか、いないのか
BLで言うなら
「エスケープジャーニー」は『ここではない、どこか』を目指している疎外サイド
「ヤリチン☆ビッチ部」は『ここではない、どこか』なんか信じてない物象化サイド
だから「エスケープジャーニー」は好きになれない
現状の幸せに見向きもしないで必死に未来へと『名前』をつけたがるのがよくわからん
田中角栄は疎外or物象化の彼岸の人
人はメシとカネで生きると思ってる人
定期的に来る角栄ブームはつまり思想的対立への疲れ
『ここではない、どこか』なんか信じてないんだから物象化サイドっぽいけど
角栄の場合は、本能でそう思ってるから、やっぱり彼岸の人
俺はメシとカネをやる。お前らは黙ってそれを貰う
人間はそれで良いんだ。という生臭い善意の塊のようなオヤジ
親戚に1人は居るようなオヤジ
こういう関係は頭も心も使わないから楽だけど楽しくはない
やってみれば(もしくは、やられてみれば)わかるが
メシとカネだけの関係は息苦しい
非常に息苦しい。まるで家族みたいだから
家族というものはそれ自体は息苦しいものなのだ。
それだのに人類が存続できたのは『家族は素晴らしい』という建前を守ってきたからだ
角栄タイプのオヤジは、それが建前だと気づかない。
家族の本質は『メシとカネ』だと思っている
それは違うのだ
家族の本質は『家族は素晴らしい』という虚しい建前の方である
人はメシとカネのためには死ねない。
当たり前である、メシとカネは生きるために求めるのだ。
人が命を賭けられるのは建前だけである
ハロウィンで若者が騒ぐ元気があるのは
ハロウィンが建前だからだ
あれが『若者の貧困問題についてのデモ』だったら絶対に車なんかひっくり返らない
中高年があの騒動に眉をひそめるのは彼らにはハロウィンという建前が見えないからだ
歳を取るとはそういうことなのだ
そして建前のために騒げるのは若者だけなのだ
若い頃は角栄を叩いて奴らが加齢と共に『角さん』などと言い出すのも
角栄ブームなどと言っても立ち読んでるのはオッサンばかりというのもこれで納得いただけると思う。
建前が見えなくなると『メシとカネ』しか残らなくなる
そして政治にまで家族を求める
2018年4月1日日曜日
めちゃイケの最終回について 青春にしては長すぎた
@全て遠い日の花火だと
面白かったけど
往時のキレは全く無かった
バラエティ番組としては70点
めちゃイケとしては20点
悲しかった
ほんとに
テロップの出し方もなんかセンスねえし
演出も編集も滑ってる
それなのに演者だけ増えてるからほんとにキツイ
総集編でよかったのに
@時間は残酷
めちゃイケとは『青春』だったと岡村は言った。
だとしたら22年は長すぎた
その上に5時間は余計だった
めちゃイケという番組に自己投影して
「彼らもがんばってるから自分も頑張ろう」と思った視聴者はほとんどいなかっただろう
これはむしろ誇っていい
頑張ろうなんて思うよりも、ただひたすら面白かったのだ
"昔の"めちゃイケは
面白すぎて格好良くすら有った
生意気なことを言わせてもらえば嫉妬すら覚えた
できることならずっと嫉妬させて頂きたかった
@さんまとかいう偉人
『(土8は)お前らの枠や』
これだけで十分泣ける
徹頭徹尾、笑わせにかかる彼だけが輝いていた
@めちゃイケとはなんだったのか
ちょっと前まではお笑い番組の文法に最も影響を与えた番組、だった
今となっては完全に追い抜かれていた
それでも老舗の味は守ればよかったのに
半端に時流に乗ろうとして逆に波に揉まれて藻屑になった
過激なことをやらないから人気が落ちたとは思わない
どこかの時点で青春としての耐用年数を超えたのだ
限界を迎えた青春は『昔は良かった』と管を巻く時にしか使いみちがない
そこまで忠実に青春という事象を、めちゃイケは、なぞってしまった
当人たちが『はやく終わって欲しい』と思っている瞬間こそが最も輝いている
それが青春なのかもしれない
面白かったけど
往時のキレは全く無かった
バラエティ番組としては70点
めちゃイケとしては20点
悲しかった
ほんとに
テロップの出し方もなんかセンスねえし
演出も編集も滑ってる
それなのに演者だけ増えてるからほんとにキツイ
総集編でよかったのに
@時間は残酷
めちゃイケとは『青春』だったと岡村は言った。
だとしたら22年は長すぎた
その上に5時間は余計だった
めちゃイケという番組に自己投影して
「彼らもがんばってるから自分も頑張ろう」と思った視聴者はほとんどいなかっただろう
これはむしろ誇っていい
頑張ろうなんて思うよりも、ただひたすら面白かったのだ
"昔の"めちゃイケは
面白すぎて格好良くすら有った
生意気なことを言わせてもらえば嫉妬すら覚えた
できることならずっと嫉妬させて頂きたかった
@さんまとかいう偉人
『(土8は)お前らの枠や』
これだけで十分泣ける
徹頭徹尾、笑わせにかかる彼だけが輝いていた
@めちゃイケとはなんだったのか
ちょっと前まではお笑い番組の文法に最も影響を与えた番組、だった
今となっては完全に追い抜かれていた
それでも老舗の味は守ればよかったのに
半端に時流に乗ろうとして逆に波に揉まれて藻屑になった
過激なことをやらないから人気が落ちたとは思わない
どこかの時点で青春としての耐用年数を超えたのだ
限界を迎えた青春は『昔は良かった』と管を巻く時にしか使いみちがない
そこまで忠実に青春という事象を、めちゃイケは、なぞってしまった
当人たちが『はやく終わって欲しい』と思っている瞬間こそが最も輝いている
それが青春なのかもしれない
2018年2月11日日曜日
ヤンチェリキッス! 感想 ~真心と作法について~
@すげえのが来た
安堂ろめだ(著)
@内容
チェリーパイ学園という地域有数のバカ学園で繰り広げられる
セックス!学ラン!オラオラからのアヘアヘ!
チェリーパイファックをする→される四天王の一人”破壊神”恩田臣と
兄貴の復讐という大義名分をすっかり忘れてパコるに耽る入間丈による頭パーコンビのお話と
ラブレター(陰毛)を巡って大痴話喧嘩する幼馴染CPのお話の二本立てだよ!
ギャグが、ちゃんと笑えるBL
この一点だけでも男子におすすめ
@一昔前のネットの空気
チェリーパイ学園という地域有数のバカ学園で繰り広げられる
セックス!学ラン!オラオラからのアヘアヘ!
チェリーパイファックをする→される四天王の一人”破壊神”恩田臣と
兄貴の復讐という大義名分をすっかり忘れてパコるに耽る入間丈による頭パーコンビのお話と
ラブレター(陰毛)を巡って大痴話喧嘩する幼馴染CPのお話の二本立てだよ!
ギャグが、ちゃんと笑えるBL
この一点だけでも男子におすすめ
@一昔前のネットの空気
ネットスラングのチョイスの仕方が良い
このご時世にMUSASHI-GUN道-ネタいれるセンスが好き
この漫画の風通しが良いのは真心と作法だったら
作法を大事にしてるから
@真心と作法
浅羽通明(著)
『野望としての教養』に真心と作法はどちらが大事かという考察が有る
浅羽は社会や共同体のことを考えるなら作法が大事だと言う
作法より真心を大事にする社会とはストーカーを良しとする社会だと彼は断じる
付き纏ったり贈り物をしたりの迷惑行為も真心からしたなら許されてしまうからだ
ヤンキー文化とは作法の文化だ
学ランに細工をしたり髪を染めるのは自分の見てくれを気にしているからだ
自分がどうあるかという真心よりも、どう見られたいかという作法を大事にしている
ナメられることを極度に嫌う=恐れているのは
『俺はヤンキーなんだ』という自分の真心なんか信じていないからだ
ヤンキーなんだ、という真心よりも ヤンキーらしい作法を取る
それがヤンキー文化圏
@これが作法だ
丈はヤることヤッといて、何が作法だと思うかもしれないけど
カレピに成るために、臣の同意を一応ちゃんと待ってる
ふみは真心から圭宛てのラブレター(陰毛)を開いてしまう
ふみは『恋人が心配だから』勝手に見たと真心で推すが圭は許さない
圭は人の手紙は勝手に読まないという作法を優先する
カレピに成るために、臣の同意を一応ちゃんと待ってる
ふみは真心から圭宛てのラブレター(陰毛)を開いてしまう
ふみは『恋人が心配だから』勝手に見たと真心で推すが圭は許さない
圭は人の手紙は勝手に読まないという作法を優先する
真心の塊のような伊勢島は臣のブタには成れなかった(=臣は女王様に成ってくれなかった)
歩く真心のストーカー(暗殺者)はふみにぶっ飛ばされた
ストーカーは問う、ふみと俺の何が違うのかと
ふみは答える
『俺はちゃんと気持ちを伝えたぜ』と、
言わなくてもわかるだろの真心と
言わなきゃわからないだろの作法
そんで作法が勝つ
そういう漫画
真心を優先するってのは自分の気持ちを優先するということ
作法を優先するってのは相手の気持を考えるということ
どっちが良いかなんて言うまでもないでしょ
@敗れた真心へのアドバイス
フラれた伊勢島に『とっとと諦めて次行きなよ』と諭す丈
歩く真心のストーカー(暗殺者)はふみにぶっ飛ばされた
ストーカーは問う、ふみと俺の何が違うのかと
ふみは答える
『俺はちゃんと気持ちを伝えたぜ』と、
言わなくてもわかるだろの真心と
言わなきゃわからないだろの作法
そんで作法が勝つ
そういう漫画
真心を優先するってのは自分の気持ちを優先するということ
作法を優先するってのは相手の気持を考えるということ
どっちが良いかなんて言うまでもないでしょ
@敗れた真心へのアドバイス
フラれた伊勢島に『とっとと諦めて次行きなよ』と諭す丈
当て馬にアドバイスする展開って、なっかなか無いよ
フラれた自分を認めたくなくて、Mを演じる人は多い
嫌われている現実を一種のプレイと読み替えるのは精神衛生上必要かもしれない
読み替えるだけなら害は無いが、押しつけ(SMおせち)になると害になる
真心をぶつけることは害になる
真心モンスターに成った人間への対処としては
勝ち目の無い現実をまず見せて、少しの思い出を持たせて
『とっとと諦めて次行きなよ』と言うしか無い
丈って、やっぱ良いやつだよ
@大人になるということ
チェリーパイファックが通過儀礼だとしたら
四天王達はうっかり勝ったが故に大人になり損なってしまった
丈と出会い敗北を知ったことで臣は、やっと大人になれた
ふみと圭はストーカーの件でお互い負けることで(強引)大人になった
ZEUSこと和海だけが敗北を知らない
彼が屋上というオリュンポスから降りるのはいつの日か・・・
負けるというのはボンタン狩りされるという具体的な話じゃなくて
世の中というのは自分の気持が優先される場所では無いと知ることだ
つまり真心なんか通じないのが世の中だと知ることだ
勝ち続けるうちは大人になれない
『風林火嶄』で「攻校生ということ 勝ち続けるということ」と書きつけられていたのは
勝ち続けるうちは攻校生という子供のままなんだって意味なのかなって思った
@こんな人におすすめな漫画
ヤンキーもの好きな腐女子におすすめなのはもちろんだけど
社畜(♂)はガチで読め
「外面(作法)が良いやつばっか成功しやがって、なんで俺の真心が通じねえ…」
とか思っちゃってる社畜はガチで読め
世の中は気持ちじゃ通じないから、行動ですから
そんで丈の言葉責めを見習って一緒に次期四天王を目指そう
入学したい高校がまた一つ増えました
2017年8月1日火曜日
やっと小悪魔から悪魔に進化 ―SuGの無期限活動休止について
@小悪魔Sparkingとかいう大悪魔
武瑠の口から『婚活』とかいう電通訛が漏れた時に
私のSuGは死んだ
もしくはファッションに深入りしたあたりから死んだ
Vi-Vi-Viで落ちた新参なので偉そうなことは言えませんが
なので最近のSuGは全然興味なかったので
無期限だろうと有期限だろうと活動休止で結構です(煽り)
遅すぎるぐらい
@武瑠ヲタ≠SuGヲタ
結局、好きだったのは武瑠個人であって
バンドととしてのSuGにはそこまで思い入れ無いです
こんな暴言吐けるぐらい思い入れ無いです
ヲタ失格ですね
武瑠にコロコロされても仕方ないね、
だから私はSuGが無くなっても困らない
つーか”みんな”も困らないから無期限活動休止になるんでしょ?
@門出
武瑠の口からたまーにでる『家族幻想』への鉄槌が
すごくすごーく共感できた
で、その家族ってのは共同体と読み替えても良いし
バンドと読み替えても、良い
だから武瑠がバンド幻想に未練ありそうなのが少し寂しい
続けるだけがバンドじゃないです
スパッと解散して、みんな好きなことやればいいのに
武瑠にはなんかゆるい書評エッセイとか書いて欲しい
彼のインタビューを読むといつもズル休みした午前を思い出す
世間の昼間の明るさにビビる10代の気持ちを思い出す
武瑠の口から『婚活』とかいう電通訛が漏れた時に
私のSuGは死んだ
もしくはファッションに深入りしたあたりから死んだ
Vi-Vi-Viで落ちた新参なので偉そうなことは言えませんが
なので最近のSuGは全然興味なかったので
無期限だろうと有期限だろうと活動休止で結構です(煽り)
遅すぎるぐらい
@武瑠ヲタ≠SuGヲタ
結局、好きだったのは武瑠個人であって
バンドととしてのSuGにはそこまで思い入れ無いです
こんな暴言吐けるぐらい思い入れ無いです
ヲタ失格ですね
武瑠にコロコロされても仕方ないね、
だから私はSuGが無くなっても困らない
つーか”みんな”も困らないから無期限活動休止になるんでしょ?
@門出
武瑠の口からたまーにでる『家族幻想』への鉄槌が
すごくすごーく共感できた
で、その家族ってのは共同体と読み替えても良いし
バンドと読み替えても、良い
だから武瑠がバンド幻想に未練ありそうなのが少し寂しい
続けるだけがバンドじゃないです
スパッと解散して、みんな好きなことやればいいのに
武瑠にはなんかゆるい書評エッセイとか書いて欲しい
彼のインタビューを読むといつもズル休みした午前を思い出す
世間の昼間の明るさにビビる10代の気持ちを思い出す
2017年7月16日日曜日
アオハルってなんだよ(哲学)
カップヌードルCM 「HUNGRY DAYS 予告 篇」30秒
@HUNGRY DAYSってなんだよ?
ネット検索してもよくわかんねえぞ!
日本のパンクバンドとか出てきたぞ!
空腹の日?満たされない日々とかそういう感じ???
@青春と書いてアオハルと読む
私達の日常を青春とは読んでくれるなという意味だろうか
『さっさと終われ私の青春』(おひっこし)的なことだろうか
「2017年、まだ誰も知らない青春が始まる」ってすごくいい
これは懐古としての青春をやるんじゃなくて(某カルピスCM)
いま(2017年)の青春をやるんだっていう前のめりの姿勢で素晴らしい
@時流
『青春は幻想だ』っていう姿勢がもう古いのかもしれない
というか歴史的使命を終えたのかもしれない
物象化された青春幻想はとっくの昔に滅んでいて
いや実際は順序が逆転していて
青春幻想が滅んでいたから、青春は幻想だと指摘できたのだけれども
青かろうと黒かろうと自分が味わった春だけがリアルなんだっていう
リアル投げ合戦の終焉
@ある
日清公式チャンネルの動画の紹介コメントにはこう書いてます
すべての人に青春はある。
そのすべての青春を、カップヌードルは応援していきたい。
2017年、まだ誰も知らない青春がはじまる―。
青春はある。と表現したのが良い
あった。とか、これから来る。とか
生涯青春()じゃなくて
ただ、「ある。」このシンプルさがカップヌードルの良さだよね(ダイマ)
@第二弾は?
第一弾は魔女の宅急便
じゃあ第二弾はなんなんだろう?
もののけ姫?ジコ坊総受け?
次はジブリ以外がいいなー
基本的に現代パロは滑るものだから
好きな作品では見たくないですね
ナレーションの起用から考えて明らかだけど
第8弾はエヴァだと思うな
2017年6月18日日曜日
『ヤリチン☆ビッチ部』と『けものフレンズ』は何と戦っているのか ――vs本当の自分
@本当の自分(属性:呪い)
”本来”の私はこんな人間では無い
”本来”の私はもっと活き活きしてもっと豊かでもっと幸福なはずだ
今の私は”本来”の私ではない
だから私は”本来”の私を探す
そう、『本当の自分』を探す
自分探しの旅の始まりである
@かばんちゃん で !!
かばんちゃん、という名前はサーバルが与えた
かばんちゃん、と呼ばれた女の子はそれを素直に受け入れた
彼女が『本当の自分』というものに、こだわりを持っていたら
「私の名前は”かばんちゃん”ではない。それは本当の自分ではない」(自撮りしながら)
と叫んでから自分探しの旅を始めていたはずである(SNS実況付き)
あるいは図書館で博士に、自分が『ヒトのフレンズ』と教わった時に
「私の名前は”かばんちゃん”ではない。それは本当の自分ではない」(自撮りしながら)
と叫んで、かばんちゃんという名前を捨てていたはずである(SNS実況付き)
しかし彼女はそうしなかった
彼女は「かばんちゃん」という名前を受け入れた
望んだわけでもないし、元になった動物の名前でも無いのに受け入れた
本当の自分でも、ありのままの私でもない、その押し付けの名前を受け入れた
かばんちゃんは何故かばんちゃんの名前を受け入れたのか?
なぜなら、その名付けを断ったらサーバルとの絆が絶たれると直感したからだ
『他者から呼ばれた名前こそが私の名前なのだ』
その不条理な宣告に同意したものだけが人に成れると直感したからだ
@名付け
名付けを受け入れることは役割を引き受けることだ
誰かを呼ぶのは、必要だから呼ぶのだ
助けてほしかったり慰めてほしかったり叱ってほしかったり
何かを頼みたくて呼ぶのだ
名付けを拒否することは役割を拒否することだ
名前のないものを呼ぶことは出来ない
だから名前のないものは何の役割も引き受ける必要がない
いや、引き受けることが出来ない
@ヤリチン☆ビッチ部
やっちゃんにとって『本当の自分』とは加島優のことだった
加島みたいな人気者に成りたかった
だから自分を偽って、成りたい自分を演じていた
しかし、その演技も遠野の前で馬脚を現した
やっちゃんは、認めたくない方の『本当の自分』を晒してしまった
遠野はやっちゃんが猫をかぶっていことにショックを受けたが
好き度は減らなかった
やっちゃんが捨てたかった『私』、つまり『加島みたいな人気者では無い私』を遠野は受け入れた
だから、やっちゃんは、救われた
本当の自分という呪いにかからずに済んだ
いま ここ のやっちゃんを遠野が受け入れたことで
矢口恭介の自分探しの旅は終わった
矢口恭介が最も恐れていたのは、お化けなんて可愛いものではなく
『本当の自分』という呪いのことだ
@呪い
本当の自分 と ありのままの私 は別のようで一緒である
それは我慢の拒否である
いま ここ に有る自分を我慢することの拒否である
ここではないどこかに本当の自分が有る
押し付けられた私を我慢しないで、ありのままの私を晒せばいい
そうやって現に与えられている私というものを耐えられない状態
それが自分探しの旅へと駆り立てる
どんな人にも終生の友人が二人居る
それは、いま と ここ である
彼らは『どこ』に行こうと必ず人に付いてきてくれる
だから、いま ここ に有る自分を我慢出来ない人間は
一生、自分を探すことになる
@セルリアン
セルリアンに食べられたフレンズは動物に戻る
つまり、ありのままの私に戻る
ありのままの私=動物には共通言語も記憶も無い
つまり社会との交流を完全に絶った状態
名付けを拒否し役割を捨てた、ありのままの私とは
そういうものに成るのである
@10年代のテーマは現状維持
いま ここ の私を受け入れる
与えられた名前と押し付けられた役割を引き受ける
そして当座の世界(いま ここ!)を動かしているものを守る
具体的には困っているフレンズを助ける
そういう地味な、ひたすらな地味な作業こそが人の仕事なのだ
裏を返せば
いま ここ の私を受け入れ無い
与えられた名前と押し付けられた役割を引き受け無い
そして当座の世界(いま ここ!)を動かしているものを壊す
具体的には笑っている支配者を挫く
そういう派手な、ひたすらな派手な偉業こそがヒーローの仕事なのだ
けものフレンズブームは癒やしを求めたものではなくて
ヒーローに頼らず、とりあえず自分たちでやって行こうとする成熟が呼んだものだ
ヒーローを求める社会とは、もはや破綻した社会なのだ
”本来”の私はこんな人間では無い
”本来”の私はもっと活き活きしてもっと豊かでもっと幸福なはずだ
今の私は”本来”の私ではない
だから私は”本来”の私を探す
そう、『本当の自分』を探す
自分探しの旅の始まりである
@かばんちゃん で !!
かばんちゃん、という名前はサーバルが与えた
かばんちゃん、と呼ばれた女の子はそれを素直に受け入れた
彼女が『本当の自分』というものに、こだわりを持っていたら
「私の名前は”かばんちゃん”ではない。それは本当の自分ではない」(自撮りしながら)
と叫んでから自分探しの旅を始めていたはずである(SNS実況付き)
あるいは図書館で博士に、自分が『ヒトのフレンズ』と教わった時に
「私の名前は”かばんちゃん”ではない。それは本当の自分ではない」(自撮りしながら)
と叫んで、かばんちゃんという名前を捨てていたはずである(SNS実況付き)
しかし彼女はそうしなかった
彼女は「かばんちゃん」という名前を受け入れた
望んだわけでもないし、元になった動物の名前でも無いのに受け入れた
本当の自分でも、ありのままの私でもない、その押し付けの名前を受け入れた
かばんちゃんは何故かばんちゃんの名前を受け入れたのか?
なぜなら、その名付けを断ったらサーバルとの絆が絶たれると直感したからだ
『他者から呼ばれた名前こそが私の名前なのだ』
その不条理な宣告に同意したものだけが人に成れると直感したからだ
@名付け
名付けを受け入れることは役割を引き受けることだ
誰かを呼ぶのは、必要だから呼ぶのだ
助けてほしかったり慰めてほしかったり叱ってほしかったり
何かを頼みたくて呼ぶのだ
名付けを拒否することは役割を拒否することだ
名前のないものを呼ぶことは出来ない
だから名前のないものは何の役割も引き受ける必要がない
いや、引き受けることが出来ない
@ヤリチン☆ビッチ部
やっちゃんにとって『本当の自分』とは加島優のことだった
加島みたいな人気者に成りたかった
だから自分を偽って、成りたい自分を演じていた
しかし、その演技も遠野の前で馬脚を現した
やっちゃんは、認めたくない方の『本当の自分』を晒してしまった
遠野はやっちゃんが猫をかぶっていことにショックを受けたが
好き度は減らなかった
やっちゃんが捨てたかった『私』、つまり『加島みたいな人気者では無い私』を遠野は受け入れた
だから、やっちゃんは、救われた
本当の自分という呪いにかからずに済んだ
いま ここ のやっちゃんを遠野が受け入れたことで
矢口恭介の自分探しの旅は終わった
矢口恭介が最も恐れていたのは、お化けなんて可愛いものではなく
『本当の自分』という呪いのことだ
@呪い
本当の自分 と ありのままの私 は別のようで一緒である
それは我慢の拒否である
いま ここ に有る自分を我慢することの拒否である
ここではないどこかに本当の自分が有る
押し付けられた私を我慢しないで、ありのままの私を晒せばいい
そうやって現に与えられている私というものを耐えられない状態
それが自分探しの旅へと駆り立てる
どんな人にも終生の友人が二人居る
それは、いま と ここ である
彼らは『どこ』に行こうと必ず人に付いてきてくれる
だから、いま ここ に有る自分を我慢出来ない人間は
一生、自分を探すことになる
@セルリアン
セルリアンに食べられたフレンズは動物に戻る
つまり、ありのままの私に戻る
ありのままの私=動物には共通言語も記憶も無い
つまり社会との交流を完全に絶った状態
名付けを拒否し役割を捨てた、ありのままの私とは
そういうものに成るのである
@10年代のテーマは現状維持
いま ここ の私を受け入れる
与えられた名前と押し付けられた役割を引き受ける
そして当座の世界(いま ここ!)を動かしているものを守る
具体的には困っているフレンズを助ける
そういう地味な、ひたすらな地味な作業こそが人の仕事なのだ
裏を返せば
いま ここ の私を受け入れ無い
与えられた名前と押し付けられた役割を引き受け無い
そして当座の世界(いま ここ!)を動かしているものを壊す
具体的には笑っている支配者を挫く
そういう派手な、ひたすらな派手な偉業こそがヒーローの仕事なのだ
けものフレンズブームは癒やしを求めたものではなくて
ヒーローに頼らず、とりあえず自分たちでやって行こうとする成熟が呼んだものだ
ヒーローを求める社会とは、もはや破綻した社会なのだ
2017年6月6日火曜日
壊れた日と直った日なら、どっちを忘れないだろう
@花鳥こわれる
本当は現場監督を垂れ流してたら、あっ(天啓)と閃いたんですけど
モノが壊れた日と直った日なら、どっちを忘れないのだろうか
あるいは痛みを覚えた日と痛みが消えた日ならどっちを忘れないだろうか
嫌な出来事は覚えていても
『嫌な出来事を忘れていた事』を覚えてる人は少ないのではないだろうか
たとえば虫歯に成った時、頭の中は痛みでいっぱいだけど
虫歯が治れば痛みでいっぱいだったときのことなど綺麗に忘れる
で、何が言いたいかというと
『このバンド売れる前は好きだった問題』はこの理屈で解けると思う
@こっちにも衝撃が来た
何かすごいものに出会った時の衝撃は忘れがたいが
その衝撃が薄れた時のことは定かではない
ちょうど薄れたピークが”売れる”瞬間とかぶるのではないだろうか
あるいは薄れたピークが来ると”売れた”と錯覚するのではないだろうか
何かすごいものに出会って「こわれちゃ~う」ってなったことは覚えてても
時間が経てば「え?そんなの関係ないでしょ」
と有耶無耶になるんだよ悲しいなぁ(諸行無常)
本当は現場監督を垂れ流してたら、あっ(天啓)と閃いたんですけど
モノが壊れた日と直った日なら、どっちを忘れないのだろうか
あるいは痛みを覚えた日と痛みが消えた日ならどっちを忘れないだろうか
嫌な出来事は覚えていても
『嫌な出来事を忘れていた事』を覚えてる人は少ないのではないだろうか
たとえば虫歯に成った時、頭の中は痛みでいっぱいだけど
虫歯が治れば痛みでいっぱいだったときのことなど綺麗に忘れる
で、何が言いたいかというと
『このバンド売れる前は好きだった問題』はこの理屈で解けると思う
@こっちにも衝撃が来た
何かすごいものに出会った時の衝撃は忘れがたいが
その衝撃が薄れた時のことは定かではない
ちょうど薄れたピークが”売れる”瞬間とかぶるのではないだろうか
あるいは薄れたピークが来ると”売れた”と錯覚するのではないだろうか
何かすごいものに出会って「こわれちゃ~う」ってなったことは覚えてても
時間が経てば「え?そんなの関係ないでしょ」
と有耶無耶になるんだよ悲しいなぁ(諸行無常)
売れたから丸くなったんじゃなくて
受け手のこっちに耐性がついただけなんだよなぁ…
@壊れる=直る
なんか壊れるのも直るのも表裏一体な気がしてきた
どちらも現状への変化としては完全に一致
「これのおかげで元気が出た」ってのは直った日と言えるし
「これのせいでい萎えた」ってのは壊れた日
どっちも強い影響を受けたのは同じ
壊れるほうがマイナスだからダメってわけでもない
壊れちゃうことでブレイクするーしちゃう!こともあるかもしれない
ただ壊れるにしても直るにしてもその期間が短すぎると”直る”印象のほうが強い
たとえば『スマホが壊れたけど叩いたら直った』という出来事は
『スマホが壊れた話』ではなくて『壊れたスマホが直った話』
壊れたことを真摯に受け止めるにはそれなりの時間が必要
2016年8月22日月曜日
暁と言えば
そうだねアルルカンだね
ということでアルルカンの暁について書きます
バズリズムという番組に出ていたみたいで
ゆるーくちらっと見たんですけど
暁さんはなんか全然落ち着いた好青年で
よかったです(失礼)
暁は眼力がすごくて
写真ばっか撮って欲しい人なんだけど
特に目線を外してる写真が良い
目線を外してる時が一番眼力を感じる
V系のアー写はボーカルが目線を外していればいるほど良い
何故か
目線が正面を向くと繋がっちゃうから
そんなJ-popな対称性は要らないんじゃい
非対称性が欲しい
絶対に繋がらない保証が欲しい
そっちの水が甘いなんて百も承知だから
『アルルカンに密着するロケのはずなのに密着できなかった』
というのはV系のプローモーションとしてはこれ以上無く完璧で
他のバンドもライブDVDの特典はこれ系の企画にすべき
私達が欲しいのは甘噛の期待はずれであって
セットされた舞台裏では無いのだから
ということでアルルカンの暁について書きます
バズリズムという番組に出ていたみたいで
ゆるーくちらっと見たんですけど
暁さんはなんか全然落ち着いた好青年で
よかったです(失礼)
暁は眼力がすごくて
写真ばっか撮って欲しい人なんだけど
特に目線を外してる写真が良い
目線を外してる時が一番眼力を感じる
V系のアー写はボーカルが目線を外していればいるほど良い
何故か
目線が正面を向くと繋がっちゃうから
そんなJ-popな対称性は要らないんじゃい
非対称性が欲しい
絶対に繋がらない保証が欲しい
そっちの水が甘いなんて百も承知だから
『アルルカンに密着するロケのはずなのに密着できなかった』
というのはV系のプローモーションとしてはこれ以上無く完璧で
他のバンドもライブDVDの特典はこれ系の企画にすべき
私達が欲しいのは甘噛の期待はずれであって
セットされた舞台裏では無いのだから
2016年6月27日月曜日
二元論が好き、死ぬほど。
90年代後半はみんながみんな援助交際について語っていた
00年代に入ってトレンドは風俗に変わった
10年代はアイドルについて語りだした
援助交際と風俗とアイドル
共通しているのは、どれも『割り切れないもの』ということだ
割り切れないのだから結論は出ない
つまりその議論をしている間は
誰も負けない
もちろん誰も勝たない
結論を出すだけが人生ではないし
結論を生まない議論が無駄というわけではない
でも、俺は二元論が好き
死ぬほど。
割り切れない問題というのは
一度は、誰かが割ろうとした問題だ
誰も割ろうとしてないのに「う~んこれは割り切れないなぁ~」と考えるのは嘘つきである
援助交際と風俗とアイドルを『割ろう』としたのは体制だ
割り切れない貴方達が嫌いな体制だ
しかし割り切れないことに気持ちよくなる貴方達なら
体制側の『割ろう』とする行為の中にも『割り切れない』部分があると認めるべきだ
割り切れるものが無いというなら絶対的な悪も無い
でも、体制は語られない。
やっぱりオシャレじゃないから??
気持ちはすごくわかる
俺も税制より松井珠理奈について考えたほうが楽しいし
そもそも問題を『割り切れないもの』として扱うのがしんどい
どうやって持ち運べばいいのソレ?
だって箱に入るならやっぱり割って切れてるでしょソレ
問題化した時点でトリミングされてるでしょソレ
この広い世界で『割り切れないもの』と出会うには
まず自分自身を『割り切れない者』にしとかないとダメなんじゃないの?
問題自身は割り切れないものでもそれを選んだ人がいちょう切りだったりブツ切りだったら
その問題はやっぱり『割り切られたもの』だと思いますよ
玉虫色に見えるのは私達の眼鏡が油塗れだからです
これから先はどんな『割り切れないもの』と出会うのだろうか
俺は全く楽しみじゃない
死ぬほど。
00年代に入ってトレンドは風俗に変わった
10年代はアイドルについて語りだした
援助交際と風俗とアイドル
共通しているのは、どれも『割り切れないもの』ということだ
割り切れないのだから結論は出ない
つまりその議論をしている間は
誰も負けない
もちろん誰も勝たない
結論を出すだけが人生ではないし
結論を生まない議論が無駄というわけではない
でも、俺は二元論が好き
死ぬほど。
割り切れない問題というのは
一度は、誰かが割ろうとした問題だ
誰も割ろうとしてないのに「う~んこれは割り切れないなぁ~」と考えるのは嘘つきである
援助交際と風俗とアイドルを『割ろう』としたのは体制だ
割り切れない貴方達が嫌いな体制だ
しかし割り切れないことに気持ちよくなる貴方達なら
体制側の『割ろう』とする行為の中にも『割り切れない』部分があると認めるべきだ
割り切れるものが無いというなら絶対的な悪も無い
でも、体制は語られない。
やっぱりオシャレじゃないから??
気持ちはすごくわかる
俺も税制より松井珠理奈について考えたほうが楽しいし
そもそも問題を『割り切れないもの』として扱うのがしんどい
どうやって持ち運べばいいのソレ?
だって箱に入るならやっぱり割って切れてるでしょソレ
問題化した時点でトリミングされてるでしょソレ
この広い世界で『割り切れないもの』と出会うには
まず自分自身を『割り切れない者』にしとかないとダメなんじゃないの?
問題自身は割り切れないものでもそれを選んだ人がいちょう切りだったりブツ切りだったら
その問題はやっぱり『割り切られたもの』だと思いますよ
玉虫色に見えるのは私達の眼鏡が油塗れだからです
これから先はどんな『割り切れないもの』と出会うのだろうか
俺は全く楽しみじゃない
死ぬほど。
2016年6月26日日曜日
キャミィの国がヤバイらしいじゃん ―定点観測として英国メンバーのEU離脱について書く―
歴代のイギリス政府のイメージは二枚舌クソ野郎って感じです
最近だとAnthony Joshua というボクサーが強くていい感じです
文化はすばらしいと思います
オースティンの小説はすばらしいです姉妹萌えなら必ず読んだほうが良い
哲学ならヒュームが好き。ニーチェいから好きです
音楽ならアヴリルと思って、まさかと調べてみたら彼女はカナダ出身でしたが
英連邦だしかわいいからセーフ
そして何よりキャミィだよキャミィ
キャミィはイギリス出身てわけじゃないけどイギリスの特殊部隊だから
魂はきっとイギリスだしかわいいからセーフ
あそ文学部の本領発揮みたいなガバガバイギリス知識の羅列は羞恥心によう沁みます
イギリスがEUを抜けると大きくわけて2つの問題が起きる
・世界的な経済の混乱
・ヨーロッパ統合の頓挫
2つとも全ての日本人に関係する問題で
2つともほとんどの日本人は興味が無い話題でしょう
頼んでもないのにマスメディアは
『ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ』
『ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ』
『ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ』
『ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ』
の連呼だからきっと大丈夫
マスメディアが騒ぐときは反対の結果になるのは確定的に明らかなので
未来は絶対バラ色です
世の中が悪くなるわけないじゃん。漫画じゃないんだから
経済の方はさっぱりわかりませんのでヨーロッパ統合の頓挫について考えてみます
EUのオリメンであるイギリスメンバーの脱退は深刻です
バンドorアイドル・グループで考えてみてください
その企画の発起人がやめるようなものです
バンドのアイデンティティーが失われるようなものです。と考えるのは
イギリス推しのヲタだけで他の推し国があるヲタはそうは考えないでしょう
この『イギリス抜きEUの方向性』をどうするかでヲタの喧嘩はしばらく盛り上がります
イギリスが抜けたらどうなるかと考えるのは
そもそもEUというバンドにとってイギリスとは何だったのかと考えることだから
いきおいしんみりしてしまいますね
遠くに行った人ほど良く見えるものです
単純に頭数が減ったのですから新メンバーを足すというのも良いでしょう
ただこれをやれば間違いなく英ヲタはキレます
『イギリスくんがベースやってたときは良かった』と嘆く黄金厨or懐古厨が必ずでます
メンバーが減ったけど同じ路線でやると
一時的にはどうしてもパワーダウンを感じる
ここを抜けれるかどうかが勝負。
そこでビビって路線変更すると必ず失敗するのはKAT-TUNという歴史に学びましょう
何をしたって昔はよかったっていうヲタはいるんだから
どーんと行こうぜEU
ここがマイナーからメジャーへの分水嶺だぜ
でもハッキリ言えるのは
『チーム>やりたいこと』と考えるチームは必ず崩壊して
『チーム<やりたいこと』と考えるチームは必ず成功する
もちろん成功には解散も含まれる
続くだけがチームワークじゃないんだからガンガン行こうぜ
そしてイギリスもきっと大丈夫
いつだって世界は『愛と勇気だけが友達』なんだからね
Brexitがらみで一番面白かった画像で終わります
2016年1月14日木曜日
ヤンジャン売ってないじゃん
@ダメじゃん
合併号だったの忘れてたはw
リクドウの感想がメインコンテンツなのに…
ルームメイトが終わったら案の定毎日更新なんかしなくなったし
今でも体が勝手に投稿ページを開くけども
書くこと無いのでノーライティングでフィニッシュです
合併号だったの忘れてたはw
リクドウの感想がメインコンテンツなのに…
ルームメイトが終わったら案の定毎日更新なんかしなくなったし
今でも体が勝手に投稿ページを開くけども
書くこと無いのでノーライティングでフィニッシュです
2015年12月29日火曜日
2016年に流行りそうなもの
@幕末モノ
2016年の大河ドラマは真田丸で戦国~江戸時代の話だけど
来年は『幕末モノ』が流行ると思う
理由は
旗色を示すことがファッションに成る時代が来つつ有るから
壬生浪ヤングゼネレーションがアニメ化か実写化かミュージカル化でもすれば
起爆剤になりそう(希望的観測)
ピースメーカー実写化なんて無かった
@アサガオ
来年は、あの植物のアサガオが流行る
アサガオを育てたり
アサガオをモチーフにしたアイテムが流行る
理由は
早起きする理由をみんなが求めてるから
@格闘技
ずっと前に『10年代はカラダの時代になる』と書いたけど
来年は格闘技が流行る
膂力を持て余した筋トレラーたちが次に群がるのは格闘技ジムだろう
ただ、格闘技をやる人間が増えただけでは
格闘技はブームに成らない
格闘技を『語る』人間が増えて、はじめて格闘技はブームになる
格闘技を『語る』欲望が
だいぶ溜まってるじゃんアゼルバイジャンな人が増えてきたように感じる
だから来年は格闘技が流行る
@風呂系漫画
スピリッツで連載してる『ふろがーる』が流行って
あちこちで『風呂漫画』が連載し始めて
夜はまさに大風呂漫画時代が来る
理由は
自転車ブーム→遠出したし温泉入るか的な流れで
2016年の大河ドラマは真田丸で戦国~江戸時代の話だけど
来年は『幕末モノ』が流行ると思う
理由は
旗色を示すことがファッションに成る時代が来つつ有るから
壬生浪ヤングゼネレーションがアニメ化か実写化かミュージカル化でもすれば
起爆剤になりそう(希望的観測)
ピースメーカー実写化なんて無かった
@アサガオ
来年は、あの植物のアサガオが流行る
アサガオを育てたり
アサガオをモチーフにしたアイテムが流行る
理由は
早起きする理由をみんなが求めてるから
@格闘技
ずっと前に『10年代はカラダの時代になる』と書いたけど
来年は格闘技が流行る
膂力を持て余した筋トレラーたちが次に群がるのは格闘技ジムだろう
ただ、格闘技をやる人間が増えただけでは
格闘技はブームに成らない
格闘技を『語る』人間が増えて、はじめて格闘技はブームになる
格闘技を『語る』欲望が
だいぶ溜まってるじゃんアゼルバイジャンな人が増えてきたように感じる
だから来年は格闘技が流行る
@風呂系漫画
スピリッツで連載してる『ふろがーる』が流行って
あちこちで『風呂漫画』が連載し始めて
夜はまさに大風呂漫画時代が来る
理由は
自転車ブーム→遠出したし温泉入るか的な流れで
2015年10月9日金曜日
もう一つの『食欲』について
グルメ漫画ブーム
大食い番組
フードファイト(ソフト化希望)
ダイエットという悪口
『食べ物で遊ぶな』という理不尽
『ごちそうさま』という呪詛
これらに共通していること
人は食べる欲望とは別に
食べさせたいという欲望が有る
グルメ漫画や大食い番組は
人が食べるのを見世物にしたものだ
ダイエットに対する計り知れない憎しみ
少しの減食も拒食へと結びつけるノイローゼ的な食への絶対肯定
『食べ物で遊ぶな』という先制攻撃の前では
食べ物の定義という落ち着いた議論など出来はしない
人は他人が食べるのを見たい
とにかく食べさせたい
この「食欲」は支配欲のヴァリエーションにすぎないが
表面上は道徳的な面構えなので質が悪い
食わねば死ぬという1bit脳にとって
食うことは絶対正義 食わせたくて食わせたくてふるえる
食の細い病人に看護人が憤るのは
栄養失調を恐れているからではなくて
「食事を見る」というポルノを取り上げられたから
『食べ物で遊ぶな』と叫ぶのは
大好きなアダルトグッズをバカにされた気がするから
人には食べさせたい欲がある
食べたくない相手に無理やり食べさせるのは
相手の口から無理やり食い物を奪うのと同じぐらい畜生な行為
相手のためを思ってるから は免罪符では無い
食の管理を認めないことはペット扱いに等しい
その相手を人間と認めていないことに等しい
それは食事ではなくエサやりである
2015年10月8日木曜日
リクドウ、無しw
@笑い事じゃない件
先週号に次号はおやすみしますって書いてたね
次は10月15日号らしいお
@うまるちゃん 感想
きりえちゃんの伸びしろって
ボンバと仲良くなる ことと うまるの正体を知ること
の2つ
絵本作家になる
は最終回事案だろうし
連載中に絵本作家に成っても面白くなりそうだけど
@群青戦記
サムライヤバイものを書きたかったのか
『部活同士が殺し合いをしたらどの部が最強か』をやりたかったのか
ハッキリしない漫画
サムライヤバイ感は『ドリフターズ』のほうが出てると思う
冷静熱血で猿じゃない秀吉ってのは面白いアイデアだけど
秀吉らしい活躍が望めないからあんまり良くないかもね
戦国BASARAの秀吉もなんかちょっとね…
へうげものの秀吉は面白かったけど黒すぎるし(あらゆる意味で)
今のところのベスト秀吉はセンゴクの秀吉が一番いいです
先週号に次号はおやすみしますって書いてたね
次は10月15日号らしいお
@うまるちゃん 感想
きりえちゃんの伸びしろって
ボンバと仲良くなる ことと うまるの正体を知ること
の2つ
絵本作家になる
は最終回事案だろうし
連載中に絵本作家に成っても面白くなりそうだけど
@群青戦記
サムライヤバイものを書きたかったのか
『部活同士が殺し合いをしたらどの部が最強か』をやりたかったのか
ハッキリしない漫画
サムライヤバイ感は『ドリフターズ』のほうが出てると思う
冷静熱血で猿じゃない秀吉ってのは面白いアイデアだけど
秀吉らしい活躍が望めないからあんまり良くないかもね
戦国BASARAの秀吉もなんかちょっとね…
へうげものの秀吉は面白かったけど黒すぎるし(あらゆる意味で)
今のところのベスト秀吉はセンゴクの秀吉が一番いいです
2015年10月1日木曜日
リクドウ 第70話 『真っ直ぐな視線』 感想
@ベストショット
大観衆を向こうに回したリクの背中やろなぁ…
苗ちゃんに泣きつかれて戸惑うリクもかわゆすなぁ
@苗ちゃん…
リクドウがラブコメ漫画に成っても
俺はずっと松原先生について行く(確信)
ほんとこの人は良い絵を描くよ
コマ割りとか構図も大好き
@強い拳
この話のリクはグローブを外している
つまりボクサーでは無いリク
リングの上ではそれなりに恐怖と暴力を発揮するリク
リングの上では強いリク
しかし、リングを降りると強さは消える
なぜなら、リクは戦いを避けるから
グローブをはめてトランクスを履いてボクサーに成った状態なら
リクは戦うことができる
しかし
グローブを外してトランクスを脱いでボクサーをやめた状態だと
リクは戦うことができない
と、思ったけど第1話で”義父”と思いっきり戦ってたKEN、どうにかしろ
なので別の見方をとります
第1巻第3話の江原先生オススメの『ひとの手』によれば
暴力とは人も自分も心も傷つける最も愚かな手の形
本来、人の手は誰かを支えたり称賛したり、誰かを思い祈るためにある
『本当は人の手は優しさに満ちている』
この頁で現れる手は全て(チンピラも江原先生も)素手である
『リクドウ』では致命的な暴力は素手が行う
なぜなら、ボクシンググローブをはめたら凶器が握れないから
リクにとってボクシングとは繭のようなものかもしれない
その中だけは生きていける空間
素手はリクから全てを奪う
70話の最後でリクが苗ちゃんを抱き寄せる場面
包帯巻きにされた拳がクローズアップされる
そこには『強い拳』というモノローグ
包帯巻きにされた拳はボクシンググローブはもちろんはめていない
かといって素手でもない
ボクサーでも無いし、非ボクサーでも無い、どちらでもない状態
リクが選んだ『強い拳』とは
ボクサーでも非ボクサーでも無いカタチを取るのかも知れない
@他の漫画の感想
うまるちゃん ヒカリちゃんを信じろ うまるイライラでワロタwwうまっしゃあああああああ
プリマックス この勢いやばいって
もぐささん こういうほのぼのバカ展開好きよ
大観衆を向こうに回したリクの背中やろなぁ…
苗ちゃんに泣きつかれて戸惑うリクもかわゆすなぁ
@苗ちゃん…
リクドウがラブコメ漫画に成っても
俺はずっと松原先生について行く(確信)
ほんとこの人は良い絵を描くよ
コマ割りとか構図も大好き
@強い拳
この話のリクはグローブを外している
つまりボクサーでは無いリク
リングの上ではそれなりに恐怖と暴力を発揮するリク
リングの上では強いリク
しかし、リングを降りると強さは消える
なぜなら、リクは戦いを避けるから
グローブをはめてトランクスを履いてボクサーに成った状態なら
リクは戦うことができる
しかし
グローブを外してトランクスを脱いでボクサーをやめた状態だと
リクは戦うことができない
と、思ったけど第1話で”義父”と思いっきり戦ってたKEN、どうにかしろ
なので別の見方をとります
第1巻第3話の江原先生オススメの『ひとの手』によれば
暴力とは人も自分も心も傷つける最も愚かな手の形
本来、人の手は誰かを支えたり称賛したり、誰かを思い祈るためにある
『本当は人の手は優しさに満ちている』
この頁で現れる手は全て(チンピラも江原先生も)素手である
『リクドウ』では致命的な暴力は素手が行う
なぜなら、ボクシンググローブをはめたら凶器が握れないから
リクにとってボクシングとは繭のようなものかもしれない
その中だけは生きていける空間
素手はリクから全てを奪う
70話の最後でリクが苗ちゃんを抱き寄せる場面
包帯巻きにされた拳がクローズアップされる
そこには『強い拳』というモノローグ
包帯巻きにされた拳はボクシンググローブはもちろんはめていない
かといって素手でもない
ボクサーでも無いし、非ボクサーでも無い、どちらでもない状態
リクが選んだ『強い拳』とは
ボクサーでも非ボクサーでも無いカタチを取るのかも知れない
@他の漫画の感想
うまるちゃん ヒカリちゃんを信じろ うまるイライラでワロタwwうまっしゃあああああああ
プリマックス この勢いやばいって
もぐささん こういうほのぼのバカ展開好きよ
2015年9月21日月曜日
『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』 ドラマ 感想
@良かったところ
めんま(大人)がかわいい
小日向文世がかわいい
@悪かったところ
その他の全て
@キャスト
大体良かったけど
じんたんの母親を小泉今日子にしたのは大失敗だと思う
アレのせいで何もかもがブレた
@演技
若者の演技の正解がまだわからないので
これで良いと思う
ただ泣く時に汁が出れば出るほど良いみたいな風潮はファックだよね
@ストーリー
アニメ見てるからわかるけど
初見の人はわからないと思うの
@BGM
使い方が糞の極み乙女。
@Secret base 問題
Secret baseはかけないでほしいと見る前に書いたけど
やっぱりかけたね…(失望)
最悪かけるにしてもタイミング考えろよ!
それに何回もかけるなよ!!
ここぞという場面で一回限りで使えよ!!!!
Secret base を流す意味って
『この曲を聞いてた頃』を思い出したティーンが
『この曲を聞いてた頃』の友達を思い出して
それがじんたんと自分にオーバーラップして
あぁ^~ってなったのが良かったのに
とりあえず流しとくかwwwみたいな使い方やめなよ(全ギレ)
@あの花は実写化向きじゃない
『おばけ』演出が寒い以前に
あの花みたいな『主人公の心象がすべて』系のアニメは実写化に向いてない
↑『戦闘美少女の精神分析』という本で斉藤環が書いてたけど
漫画ってのは時間が主体的に流れる
実写映画は時間が主体的には流れない
具体的に言うと
ボクシングの漫画はパンチ一発撃つ場面で
ボクサーが自分の思考を延々と語るのはよくあることだし違和感が無い
アニメでもギリギリ許される。ただ止め絵でもズームやなんやで動くだろう
これが映画だと許されない
映画でパンチ打つ度に顔をアップにして止めて
ボクサーが延々独白したら観てる方は一気に冷める
これが漫画とアニメと映画の差
流れる時間の差
あの花で流れている時間は実写化向きじゃない
そして2時間で収めるのはやはり無謀
11話というスパンで表現出来た『夏から秋』という流れが
ドラマの2時間ではすっぽり抜けてたのが残念
@総評
良くなかった
ラベル:
あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない,
テレビ,
ドラマ,
思ったこと
2015年9月15日火曜日
今日も地域はネットを憎む
地域密着はいいことで
ネット依存は悪いこと
家族揃ってテレビを見るのはよいことで
オンラインで知らない人とゲーム対戦をするのは悪いこと
地域の繋がりはいいことで
ネットの繋がりは悪いこと
この違いがわからない
地域の繋がりが推奨されるのは結局それで金が動くから
ネットの繋がりが許されないのは所詮個人の小銭しか動かないから
現代の若者は『人との繋がりを脅迫的に求めてる』とか
『ケータイ依存』 『ネット依存』 『LINE依存』 とか
若者を繋がりバカ呼ばわりするくせに
『地域』の事となると『繋がれ』『繋がれ』『繋がれ』『繋がれ』『繋がれ』『繋がれ』『繋がれ』『繋がれ』
と、手のひら180度変えるのはなんでだよ
孤独死する老人を『地域でなんとかしろ』レベルまで来ると
団塊トライブにとって地域はゴミ箱と同じ意味なんだろう
『人と繋がることはよくない、電子製品を介してだろうと肉体接触だろうとよくない』
ってハッキリ言ってくれる人なら信用できるけど
『お金を生まない繋がりはよくない、金を生む地域の繋がりはどんどんやれ』
って理屈じゃ人は繋がらないでしょ
2015年9月2日水曜日
誰が学校を殺したのか
人は育てたようには育たないが
人は言われた通りには育つ
『バカ』と叱られ続けた人は実際にバカに育つ
『嘘つき』と罵られ続けたものは実際に嘘つきに成る
『つまらない』と言われ続けた学校は実際につまらなくなった
誰が学校を『つまらない』と言い出したのか?
大人たちだ
なぜ大人には学校がつまらないのか
大人は学校に戻れないからだ
大人の八割は嫉妬で出来ている
学校が社会に優っているのは
学校には大人が居ないからだ
大人と関わりたがるのは子供だけだ
巣立った今となっては宿題すら恋しい
世の中には宿題すら与えられない大人であふれている
そして追憶は暴力に成る
自分がくぐれない校門を持つすべての場所を大人は呪いだす
学校はつまらない と 呪いだす
そして学校は本当につまらなくなってしまった
呪いとは願い事と一緒でいつかは必ず叶うものである
大人とは社会と家庭を愛し学校を憎む生き物だ
『社会人』という首輪を突起物にぶら下げて
目に入る『学生』に片っ端から噛み付く生き物だ
学校の教育は社会では役に立たないと蔑まれる
学校の先生は子供を本当に愛していないと家庭に舐められる
学校は常に社会と家庭の噛ませ犬に成っていた
そんな学校に子供が行きたがらないのは当たり前だ
『楽しい学校』という神話を守ってきたのはヲタク達だ
『楽しい学校』を描いた作品は星の数ほど有る
その作品たちを「目がでかすぎる」等とバカにしていた大人たちは
学校に対して何をしていたのか?
どちらが青少年の教育に害を成しただろうか?
たしかに学校という制度に問題は多い
数多の教師の不祥事は許せたものではない
しかし学校という制度は守らなければならない
今の日本に『良い教師』が一人も居ないとしても学校制度は守らなければならない
なぜならば、良い教師も悪い教師も学校という根から咲いた花なのだから
見せびらかすなら花だけでいいが
来年もその花を見たいなら根を守らなければならない
人の命は線香花火より短い
だから私たちは制度を作り守るのだ
学校の価値は良い教師の量で決まるものではない
学校の価値とは学校という場所そのものだ
学校は『血のつながり以外のつながり』を教える
親以外の大人を知り
自分の家とは違う家を知る
両親を相対的に見るようになり家庭の異常や世間の常識も知るように成る
家以外の逃げ場を知るようになる
学校の有る世界は悲惨かもしれないが
家しかない世界のほうがもっと悲惨だ
いまさら大人にできることは腐るほど有るが
喫緊ですべきことは『学校は楽しい』と言うことだ
言い続けることだ
『つまらない』と言われる場所で働こうと思うお人好しはいない
まずは教師を呼び戻すことだ
ある場所を楽しくするなんてことは天才にしか出来ないが
天才を呼ぶことは凡人にしか出来ない
だから私たちは『学校は楽しい』と願いながら言い続けるべきだ
願いごととは呪いと一緒でいつかは必ず叶うものだから
2015年8月17日月曜日
野汁先輩という失敗 あるいは『お前はまだグンマを知らない』試論
@この辺にぃ『お前はまだグンマを知らない』って漫画来てるらしいっすよ
お前はまだグンマを知らない
井田 ヒロト (著)
@王道を往く
『お前はまだグンマを知らない』の3巻を読んでたら実家のような安心感
野汁先輩という野獣先輩のパロディキャラが出てきて(心が)バッチェ冷えてますよ
なぜこんなしょうもないパロディをしたのか
そもそも群馬をグンマとするネタ自体がネットの”ネタ”だから
その志の低さは血統書つきだとしても
なんでいまさら淫夢をネタにしたのか…
@んにゃぴ…やっぱり自分のほうが一番いいですよね
野汁先輩より野獣先輩のほうが114514倍面白いのは
野獣先輩のほうが汚いからではなく
野獣先輩がオリジナルだから
固有という意味じゃなく起源としてオリジナルだから
野汁先輩がいくらセリフやイボをなぞった所でコピーでしか無いから
コピーとオリジナルの違いは何かと言えば
コピーは『面白いからやってみた』
オリジナルは『やってみたら面白かった』
この差だと思う
コピーには博打要素が無い
『つまらないかも知れない』というワクワクが無い
やる方も見る方もオリジナルというお手本にどれだけ似るかで判断する
レールからはみ出ない遊び
オリジナルは博打でしか無い
『どうなるかわからない』というワクワクしかない
やる方も見る方もお手本という基準が無いから今生まれたオリジナルだけで判断する
レールを作る遊び
@コピーは悪いことじゃない
『あらゆる創作は模倣だ』
『芸術はリミックスだ』
てのがイマの風潮で真っ白なオリジナルなんて無いのが真実なんだけど
来し方を指差し確認出来ないような強烈なオリジナルってのは絶対にあると信じてる
だから
『おまえはまだ○○○を知らない』シリーズを47都道府県分作れば
一個ぐらいは
まとめブログを絵本にしたようなものじゃない漫画が出来るかもしれない
登録:
投稿 (Atom)
