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2015年9月21日月曜日

『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』 ドラマ  感想


@良かったところ

 めんま(大人)がかわいい

 小日向文世がかわいい


@悪かったところ

 その他の全て



@キャスト

 大体良かったけど

 じんたんの母親を小泉今日子にしたのは大失敗だと思う

 アレのせいで何もかもがブレた


@演技

 若者の演技の正解がまだわからないので

 これで良いと思う

 ただ泣く時に汁が出れば出るほど良いみたいな風潮はファックだよね


@ストーリー

 アニメ見てるからわかるけど

 初見の人はわからないと思うの


@BGM

 使い方が糞の極み乙女。




@Secret base 問題

 Secret baseはかけないでほしいと見る前に書いたけど

 やっぱりかけたね…(失望)

 最悪かけるにしてもタイミング考えろよ!

 それに何回もかけるなよ!!

 ここぞという場面で一回限りで使えよ!!!!

 Secret base を流す意味って

 『この曲を聞いてた頃』を思い出したティーンが

 『この曲を聞いてた頃』の友達を思い出して

 それがじんたんと自分にオーバーラップして
 
 あぁ^~ってなったのが良かったのに

 とりあえず流しとくかwwwみたいな使い方やめなよ(全ギレ)



@あの花は実写化向きじゃない

 『おばけ』演出が寒い以前に

 あの花みたいな『主人公の心象がすべて』系のアニメは実写化に向いてない

 

 ↑『戦闘美少女の精神分析』という本で斉藤環が書いてたけど

 漫画ってのは時間が主体的に流れる

 実写映画は時間が主体的には流れない

 具体的に言うと

 ボクシングの漫画はパンチ一発撃つ場面で

 ボクサーが自分の思考を延々と語るのはよくあることだし違和感が無い

 アニメでもギリギリ許される。ただ止め絵でもズームやなんやで動くだろう

 これが映画だと許されない

 映画でパンチ打つ度に顔をアップにして止めて

 ボクサーが延々独白したら観てる方は一気に冷める

 これが漫画とアニメと映画の差

 流れる時間の差


 あの花で流れている時間は実写化向きじゃない

 そして2時間で収めるのはやはり無謀

 11話というスパンで表現出来た『夏から秋』という流れが

 ドラマの2時間ではすっぽり抜けてたのが残念



@総評

 良くなかった






2015年7月26日日曜日

あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない 最終話 『あの夏に咲く花』  感想


@よかった。
 
  最初に観た時は最終話は

  ちっとも泣けなかった

  2周目の視聴はまず泣かないと思ってたけど

  いざ観たらボロ泣きした

  2周目はなるべく意地悪な視点で見ようと

  突き放して見ようと思い

  各話の感想も悪く書いたほうが多い

  それでも一周目よりは『考えながら』観たのは間違いない

  泣くつもりも無かったのに泣いた

 
  やっぱりアニメって素晴らしいですね(素直)



@めんまの願い事にこめた事

  めんまの願い事が『じんたんを泣かすこと』(ネタバレ反転)だとしても

  それのためにめんまが蘇ったとは思えない

  めんまが現れたのは

  じんたん母に『じんたんを泣かすこと』を頼まれたからだと思う

  前回書いたように人の死を代わることは出来ないが

  死に逝く人の頼みを聞くことは出来る

  大事なのは頼み事の内容ではなく

  頼まれたことそれ自体なのだ

 

@正面から君を見た

  じんたんが、あなるのつけまつげを指摘する場面は

  ついに、じんたんがあなるの顔を見たってことなんだろう

  この瞬間に、じんたんの呪縛は溶けた

  逆説的だが

  じんたんが”めんま”のことをめんまの気持ちになって考えたことで

  じんたんは、あなるのことも正面から見ることが出来た

  
 


@かくれんぼ

  かくれんぼとは

  相手が居なくても出来る遊びである


  かくれんぼとは

  鬼が居ないならずっと隠れ続ける遊びである


  かくれんぼとは

  隠れる者が居ないならずっと探し続ける遊びである


  かくれんぼとは

  そこに居ないものを探す遊びである


  かくれんぼとは

  鬼の前から消えていたものを見つける遊びである


  かくれんぼとは

  失ったものを取り戻す遊びである


  かくれんぼとは

  『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』そのものである



@本当によかった。

  『めんまが成仏する』ことと『あの花はこの回で終わる』ってのがリンクして

  そのことが感情移入してこうぶわーっと来ちゃったね

  『悪口ばっか書いたけど、これで終わりなんだよなぁ』と思うとセンチメンタルになっちゃって

  まだまだだね(ETZN)



  じんたんは変化を憎んでいる
  
  ゆきあつはじんたんのことが好きだった

  という目線でずっと見てみたのも面白かった

  あとは物象化論とか役割理論とか村上春樹の配電盤とか

  一周目では知りもしないことを知ってから観たから

  その分、より深く味わえた

  

  結論として
  
  『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』は好きなアニメでした
  



あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない 第10話 『花火』 感想

@じんたんの変化観

 よく考えたらじんたんの移動手段はずっと徒歩
 
 電車にも乗らないし
 
 めんま家への招待状ポスティングも徒歩だし

 開始数秒の時点でじんたんはずっと変わってないという表明になっていた…!?



@同じことを繰り返す

 めんまと過ごした最後の思い出を

 めんま抜きで再現する

 めんまの儀式化・お祭り化

 あらゆるお祭りはすべて『忘れてはいけないこと』の再現である

 言葉として残すのはリスクが高すぎる

 そこで儀式として体を動かす行為として残すのがお祭や儀式の意義

 ゆきあつとあなるは自分自身の供養のために『あの日』の再現を決行した

 自分の気持に踏ん切りをつけるために

 じんたんに『自分が聞きたい言葉』を言わせるとか…たまげたなぁ

 


@関係

 人間関係というのは複雑なもので

 それは関係というのが複雑だから

 人間自体は単純でも関係は無限大だから


 ポジションはそれ自体で有るものじゃない

 ピッチャー独りじゃ野球は出来ないし

 キーパーだけじゃ試合は始まらない

 ポジションとは関係の網の目の上に成り立つものだから

 誰かを無くせば、そのポジションにつけるってものではない

 誰かを無くせば、そのチーム自体が瓦解するほうが多い


 めんまが居なくれば

 めんま=じんたんに愛されるポジション に自分が着くと考えたあなる


 しかし、実際にめんまが居なくなると

 『じんたんに愛されるポジション』もめんまと一緒に消えてしまった

 
 なぜなら、めんまが消えたことで
 
 超平和バスターズという大枠が消えてしまったから

 その大枠の中でしか『じんたんに愛されるポジション』は存在しなかったから



@あなるとゆきあつ と じんたんとめんま どうして差がついたのか 慢心、環境の違い

  あなるとゆきあつが『○○が消えれば、自分が○○の代わりに愛される』

  と素朴に考えたのは

  超平和バスターズは絶対に消えたりしないと信じていたから

  構成員が変わっても時が経っても超平和バスターズは無くならないと信じていたから

  

  彼らとは逆に

  じんたんとめんまは『誰かが消えたら、超平和バスターズは消える』と理解していた

  弟が超平和バスターズの集いに参加するのを

  めんまがやんわりと拒否したのは

  弟という異物が入ったら『超平和バスターズ』が崩壊するのを理解していたから

  共同体を守ろうとした二人共同体の崩壊を信じなかった二人


  




@代わりなんて居ない

 ハイデガーが言ったように

 誰かのために死ぬことは出来ても

 自分の死からは絶対に逃れられない

 『命だけは助けてやる』にまさる皮肉を私は寡聞にして知らない


 だから、つるこが言うように

 めんまは『成仏させないといけない』

 めんまの死はめんまにしか引き受けられない

 めんまの居た場所はめんまにしか許されない

  


2015年7月25日土曜日

あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない 第9話 『みんなとめんま』  感想

@ゆきあつとつるこっている????

 ゆきあつとつるこの役割って

 的外れの推理と

 茶々と激寒コメントぐらいじゃん

 これいる????

 ぽっぽもそんなに要らないよね

 あの花は

 じんたん と めんま と あなる

 の三人の話にしたほうが絶対に良い

 実写化ではそうして欲しい(わがまま)



@ゆきあつこわれる

 柵を蹴りだすゆきあつを見てもイマイチ壊れちゃーう(課長)感じがしないのは

 女装のインパクトが強すぎたから

 札を切る順番を間違えたよね

 あのエピソードは最後まで引っ張って出しても良かったと思う

 

@どうして優等生キャラはバカになるのか問題


 ゆきあつ つるこ 『絶対、幽霊なんか信じたりしない!!』


 ゆきあつ つるこ 『目の前でモノが動いたら、信じちゃったよ…』

 こいつ、バカじゃねえ?(KBTIT)

 田舎進学校はスケベなことしか教えてないのか??(偏見)

 体験を鵜呑みにするんじゃなく少しは考えなさいよ

 

@駐車場 

 駐車場で土下座するゆきあつ

 手足を地べたにつけたそのザマは

 そこに居並ぶクルマと変わらない

 これは貴方のクルマになりますオッスオッスという絶対服従のサインだった・・・?



@気になったセリフ

 めんま 「あなるのぬいぐるみがない!!」



あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない 第8話  『I Wonder』  感想


@ゆきあつにむねあつ

 めんまめんまうるさいじんたんに

 お前のせいで傷ついた人だっているんだぞ!!と叱るゆきあつ

 あなる 「傷ついたって(ゆきあつ)自分のことだよね」


 終盤、秘密基地にてやっぱりめんまめんまうるさいじんたんに

 殴りかかるゆきあつ

 「やめてくれ…」

 『めんまが俺たちを許すはずが無い』ってのは建前で

 未だにじんたんの心を囚えているめんまにジェラシーなんだよなぁ…



@母の気持ち 父の気持ち

 ヨグワガンナイケドネ

 めんま母の気持ちを語る言葉を未だに持たない

 これをアニメにする姿勢はすごい

 それにしてもじんたんパパは何でも知ってるなぁ(BKMNGTR)

 でもね

 両親をスーパーマン扱いするアニメは例外なく嫌うことにしてるから



@変わるのは関係だけだと言うこと

 じんたんによれば

 個人個人は変わってないが

 『みんな』は変わった

 なぜなら、めんまは居ないから


 あの頃の『みんな』の中にはめんまが居た

 しかし今の超平和バスターズにめんまは居ない

 だから、『みんな』は変わった


 一人ひとりは変わってなくても

 その一人ひとりが織りなす『みんな』という関係は変わってしまった


 みんなという言葉は実体のある言葉じゃなくて

 所詮は関係の代名詞だという深い考察

 『みんな』のことを考えているのにすれ違うじんたんたち

 それは『みんな』という言葉が関係を指す言葉だから

 有りもしないモノを指しているから混乱するのではなく

 各々が別のモノを指しているから混乱するのだ

 同じような言葉に国家がある



@日曜日18:30の国民的BL

 夜の公園で話し込むじんたんとめんま弟の場面が

 なぜか、カツオと堀川くんに見えた




@泣きあなる

 いい場面

 願い事を叶えたら、めんまは消えると指摘するあなる

 『めんまは居なくってもいいんだ、好きなのに!!』

 という絶叫

 論理矛盾を突きたくて叫んだわけではない

 ぶっ倒れるまでがんばっても

 どうせめんまは消える

 それにくらべて私はずっとここに居る

 今だって倒れた貴方の側にいる


 「非現実的なヒロインより、現実的なサブヒロインを取ってよ!!」


 という切実な、だけどこれを言ったら十中八九負ける『幼なじみ』セリフ。

 突然、知らない美少女が!!系アニメ(俺は大好き)だと100%負ける側が吐くセリフ

 


@なぜあなるは負けるのか/負けたりしない!


 『顔色悪いよ』

 あなるはじんたんの顔色に気づく

 
 『つめ真っ黒!』
  
 めんまはじんたんの手を見ている

 
 あなるがじんたんの顔を見るのは

 そしていつも見ているのは

 じんたんが、あなるの顔を見ないから


 めんまが、じんたんの顔を気にしないのは

 いつも、じんたんはめんまのことを見ているから


 そりゃあ、あなる、負けるわ




@ダマスカス

 無言電話はじんたんの仕業だと決めつけた時点で

 ゆきあつとつるこはめんまを信じるコースに入った


 結果には必ずひとつの原因がある

 というゲームのルールを受け入れた時点で

 彼らは必ずオバケを信じることになった

 無言電話の原因なんてことを考えなければ

 ノートに新しい書き込みが増えたところで

 『今まで見逃したのかもなハハハハ』で済んだのにね

 

2015年7月17日金曜日

あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない 第七話 『ほんとのお願い』  感想


@7話のかわいい

 パグかわいい

 メスかわいい(意味深)


@相変わらずの変化観

 アバンタイトルの秘密基地にて
 
 あなる「やっぱり、じんたん変わってないね」(ニッコリ)


 終盤の宿海家にて
 めんまが作った蒸しパンを食べる場面

 じんたん「美味しい。母ちゃんが作ってくれたのと同じ味だ」

 美味しい=同じ味

 
 『変わってない』ことをひたすら褒め合うコミュニティとか息苦しくないのかよぉ



@お金について

 『あの花』に限らないけど

 目標の達成にお金が絡む展開になると

 『真っ当に汗水たらして稼ぐ』流れになるのがホント嫌

 だったら、普段から、溜めておけよ!!

 つうか、ガキなんだから親にせびれよ!!スネを齧れよ!!!

 普段から親に甘えてるくせに

 こういう時だけ自立した面するなクソガキ

 住んでる家も飲んでる水もテメエの親が出した金だろうが!!!

 しかも、その目標が誰かのためなら

 恥を忍んで最短距離で目指すべきなのに

 なんなの???

 どんなカタチで稼ごうが使うために欲しがるお金は尊い

 外野がケチつけることは出来ない

 あらゆる次元でそれは出来ない



@ほかの名言たち

 ぽっぽ 『かっけーっんスよ』

 めんまママ 『ふざけてるわね』



@わすれてわすれないで

 6話では『自分のことは忘れて欲しい』と願っためんまだけど

 7話ではじんたんが『めんまのことを考えてくれた』と感激してるんだけど

 どっちだよ(現場監督)

 『無いモノを思い、それに縛られる』って機能だけみるなら

 どらちも構造的には呪いだと思うよ

 












 
 

2015年7月6日月曜日

あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない 第六話 わすれてわすれないで 感想


@突き放した感想
 
 とくになし

 ゆきあつとつるこの掛け合いが寒い

 

@あなる 援交 これマジ?

 じんたんは、あなるがノートに書きなぐった

 意訳すれば「助けて」という文字たちがきっかけで

 あなるの異変に気づいた

 めんまの日記とか

 『あの花』では女性が文字を書く位置にある??



@家=こころ

 家がこころだとすると

 あなるは学校という『大きい家』から、じんたんに連れだされ

 実家にも戻らず

 山の秘密基地に帰る

 山の秘密基地はじんたんの象徴

 あなるは学校という世間よりじんたんを取った ハッキリわかんだね


@つるこの りせい

 つるこは『めんま』の霊を信じていない

 じんたんが『めんま』が見えると騒ぎ出すことで

 超平和バスターズが再結成された事実に思い至っていない

 いま、この電車でゆきあつと談笑できる原因を噛み締めていない

 『めんま』を信じている、じんたん・ぽっぽ・あなるを小馬鹿にするが

 『めんま』を契機とした一連の騒動に振り回されている自覚は無い

 「無いはずのものに振り回されている」

 こういう形の話を人は怪談という


@ゆきあつカミングアウト

 じんたんのことが『腹立つ』ゆきあつ

 高校のレベルも社会的ステータスも体力も

 今や自分のほうが上なのに

 今でもじんたんに振り回されていることが『腹立つ』

 転移が起きてると考えれば

 本当はゆきあつがじんたんを振り回したいってことだね!



@秘密基地

 ぽっぽが住み着いていた秘密基地に

 あなるが押しかけ『男汁』を掃除していく

 秘密基地がじんたんの心の象徴だとすると

 達観した変化感が

 肯定的な変化しか認めない状態へと

 つまり変化から強化へと退化したと言える
 
 実際、第六話のじんたんはついに学校に行く

 これはあなるが望んだ+面への変化だ

 この『変化』がじんたんにどう影響するのか

 それはこの物語を紐解けばわかるのかもしれない(ノムリッシュ淫夢)

 

2015年7月3日金曜日

あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない 第五話 トンネル 感想

@突き放した感想

 セリフで説明しすぎぃっ!!

 電車止まる → 「俺たちは取り残されてる」 の激寒演出やめろや

 ここらへんで観るのをやめてもおかしくない出来


@唯一の見どころ

 ガリガリ君を見つけて「かわいい」と叫ぶじんたん父が

 ガリガリ君を掴んだら、溶けててぐにゃってなって

 「かわいくない!」って言った場面がいちばんよかった(粉みかん)



@ぽっぽ

 全話見れば

 終盤のめんまに詰め寄るぽっぽの気持ちもわかる

 あれは自責の念から来る焦りと純粋な鎮魂の気持ちが混ざり合った

 複雑な心境

 ただ全話見た今だと、山で花を活けながら「ぽくぽくちーん」する場面は基地の外すぎて

 どうなんだよ人として(YTR☆)




@『好きってことがよくわからない』ってことがよくわからない剣

 子供らしさを出そうとして

 キャラクターに『~がわからない』を言わせすぎ


 めんま「願い事を叶えて欲しいけど、願い事がわからない」

 ぽっぽ「ぽくぽくちーんしたいから、ヒントくれ」

 あなる「好きってわからない」

 ゆきあつ「じんたんのどこが好きなのか、わからない」


 わからないばっかじゃねえかよお前の家!



 子供=バカって発想がバカだわ

 子供ってのは安易に決めつけるのが子供なんだよ(ブーメラン)

 『わからない』と判断を保留する奴はもう腐れオヤジだよ



@家=こころ

 家はこころの暗喩なんです(断言)

 登場人物のこころが乱れてる時は、その人物の住処も荒れてるの

 一昔前のラノベの主人公の家が、やたらと『両親不在の一人暮らし』なのは

 彼の家=こころには大人が居ない

 つまり、『子供しか居ない』

 二重の意味で、主人公が『大人ではない』ことを表してたんじゃんアゼルバイジャン

 揉め事は大体、夜に起きて、家に朝日が射す頃には解決してる

 近々だと、艦これ4話はもろにそう

 BLにおいて、『お家でお勉強会』が一大イベントなのは
 
 相手の『家に入る』ことは、そのまま『こころに入る』ことだから



@めんまが欲しかったもの じんたんが『めんまに欲しがって欲しかったもの』

 じんたんは「何か食いたいか」と聞くと

 めんまは「家にあるもので良い」と答える

 しかし、じんたんは家の外に買いに行く

 めんまは『家のもの』つまり、じんたんの『こころのもの』を欲しがったが
 
 じんたんはそれを拒む

 めんまはこころの何が欲しかったのか?

 ヨグワガンナイケドネ…

2015年6月27日土曜日

あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない 第4話 白の、リボンのワンピース 感想

@めんまの願い

 「みんなが集まってくれて、みんながめんまのことを思い出してくれて」

 うれしい

 「めんまが死んじゃっても、みんなにはずっとずっと仲良しで居てほしいから」

 これは重要発言

 この発言については別の日に詳しく論じたい
 


@突き放した感想

 転びそうに成ったあなるをナイスフォローするじんたん

 胸キュンするあなる

 これが大人が泣けるアニメだ!!!

 ナイスガッツ(激寒)も次点で来たけど
 


@ぽっぽライト

 夜の秘密基地に集まった場面で

 ぽっぽのスクーター?のライトが当たってるのが あなる と つるこ

 光源から外れてるのが じんたん めんま

 立ってるのが あなるとつるこ

 座ってるのが じんたんめんま

 どういうことか言うとそういうことなんです(稲川淳二)

 これもうわかんねぇな

 

@横断歩道の決闘

 ゆきあつはじんたんの発言のうち、どれにカチンと来たのか


 「俺のめんまが」にカチンと来た場合

  めんまより俺(ゆきあつ)を見ろよというジェラシー

  やっぱりホモじゃないか(歓喜) 


 「お前のめんまは偽物だ」にカチンと来た場合

  そんなにめんまが大事かよ

  俺(ゆきあつ)のことも大事にしろよという嫉妬

  やっぱ(略)


 後は気になる発言をピックアップすると


 「俺はお前なんて認めてなかったけどな」

 他の奴らはじんたんをリーダーと認めていたが

 俺だけは認めていない

 俺だけは違う。俺だけはリーダーではないじんたんを見ていた
 
 という捻くれた愛の告白だった…!?


 「気安く話しかけるな負け犬」

 今度来る時は口じゃなくてカラダで来いという大胆な告白は女の子の特権

 ゆきあつは女の子だった…!?(錯乱)




@恒例のじんたんの変化観

 めんまをみつめながら

 「変わってねえなぁ」 (笑顔)


@超平和バスターズ

 つるこ 「偽りの平和をバスターする」

 お、やべえ110番だな


 偽りの平和とは?

 めんまに囚われてるのに平静を装う元超平和バスターズのことなのか

 かわいいキチのじんたんパパのことなのか?
 
 つるこ自身のことなのか

 それともセカイまるごと?

 偽りの平和とは平和とは偽りなのだという宣言?

 つまり波立たない海など海じゃないという戦闘民族宣言

 つるこは真実を得るために無秩序を望んでいた…!?


 
@訂正と謝罪

 カップケーキじゃなくて蒸しパンでした

 センセンシャル

2015年6月24日水曜日

あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない 第三話 メンマを探そうの会 感想

@突き放した感想

 心情描写がセリフばっかじゃねえかお前ん家!どうなんだよアニメとして!(YTR☆)

 「周りに流されちゃう私の事、叱って欲しかった」(大人が泣けるアニメ)

 ヒエ~ッww

 じんたんも学校行く気無いなら制服ぐらい処分しろよう

 ファッションヒッキーじゃん

 

@触れる幻想

 『触れる幻想が有るかいい加減にしろ!』なんて書きましたが

 『ファイト・クラブ』という前例がありますよアリゲーターさん

 あれはタイラーが主人公のもう一つの人格でしたが(ネタバレ感想)

 めんまもそうなのか…!?

 先の話になるけどノートに文字を書く場面も じんたんの熱い一人芝居だと思うとゆきあつ

 でも流石にそれは無い

 じんたんはめんまを『幻想が生み出した夏の獣』と思ってるけど

 勝手にカップケーキ作る幻想ってありえますかね…!?



@うーんこの主人公

 あなる「学校来なよ」

 じんたん「嫌ンゴ…あなるとの約束なんてどうでもいいンゴ」


 めんま「学校行こうよ

 じんたん「行くンゴオオオオオオ!!!めんまのお願いごとんごおおおおおお」


 なにこれ

 しかも結局学校行ってないっていう


@カップケーキ

 めんまが作ったカップケーキを見て

 母親が作ったカップケーキを思い出すじんたん

 めんまはじんたん母の仏壇を拝んでからカップケーキを作りはじめる

 めんまは意図的に母親と同じ行動を取ろうとした…!?

 めんまはじんたんの母に成ろうとしている可能性が微粒子レベルで存在する???
 


@BBQでろうそく並べる場面
 
 あなつるいいよね…



@本当の闇

 あなるがめんまと同じような服装をして「探そうの会」に参加したのが問題ではなくて

 あなるの白ワンピ姿を見て(めんまの格好だ…)と決めつけるのが問題だと思うの

 つまり、なんだかんだ言ってつるこも『あの夏』に縛られている

 「なぜそう思うのか」に疑問を持たない限り

 その人の思考は土地と社会に縛られたまんま

 疑わなきゃモノサシを 



@なぜゆきあつは同じ土俵に上がるのか

 ゆきあつがじんたんのことを嫌いなら

 「めんまなんか居るわけ無いだろ!」と罵倒していいはずなのに

 「俺もめんまが見える」(迫真)と張り合うのは何故か?

 おそろいに成りたいから、だよね!

 ソースは第二話のめんまあなるのおそろシールエピソード

 「あの花」にとっておそろいは仲良しの証なんだよ



@クレイジー倫理

 「めんまは死んでるけど元気です」(大人が泣けるアニメ)

 畜生にしか書けないセリフだと思いました



@「探そうの会」の持ち物一覧

 じんたん バイエルン カップケーキ
 ぽっぽ キール
 ゆきあつ 野菜 骨付きリブ ハーブソルト オリーブオイル 

 つるこ ろうそく
 あなる 花火

 
 男子は食物 女子は可燃物

 男子は火を受けるもの 女子は火を出すもの

 男子は必需品を 女子は嗜好品を

 男子は口に入れるものを 女子は目に楽しいものを

 これは何かの意味がありそうだす


@第三話におけるじんたんの変化観

 BBQにみんなで食べた思い出の『カップケーキ』を持っていくじんたん

 重すぎワロタwww

 
 
 じんたんが登校を諦めたのは

 あなるの友達の「宿海なんて眼中にない」発言が原因です

 「俺に興味を持たない連中の所になんか行きたくない」っていう駄々です

 変化を嫌う人は自分のことが大好きな人です

 なぜかと言えば

 変化をしないのは自分だけだからです

 変化を嫌うには、まず変化が起きないといけません

 「変化を嫌う」のは受動的な行為です

 変化する人やものを、要は世界を嫌っていけば

 残るのは自分だけです

 終わらない引き算の果てに残るのは自分だけです


あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない 第二話 「ゆうしゃめんま」 感想

@突き放した感想

 しゅじんこう 「俺も久々に楽しかった」
 
 ひろいん   「え?なに?」

 しゅじんこう 「なんでもねえよ(照れ)」

 これでも10年代のアニメとはたまげたなぁ

 
 ノケモンの件は

 「お前らのだいちゅきなポケモンネタでちゅよ~うはwネットで炎上しちゃうは」

 てのが透けて見えてうぜえ

 ポケモンネタで勃起出来る世代はsecret baseもど真ん中だし

 あの花はその世代を狙っていた…!?



@『ストレスが具現化した幻想』←?????????

 じんたんにとって、めんまは『ストレスが具現化した幻想』

 意思疎通が出来て相互接触も可能な幻想があるわけないだろ!いい加減にしろ!!

 物象化論と絡めて「あの花」を見ようと最初は計画したけど

 いや~キツいっす

 関係性がもの化したのがめんま と代入したいけど

 めんまはもう実体を持ってるから無理だよ!!

 後で廣松先生を読み直すしかない



@あなるの部屋に飾ってある昔の写真

 在りし日の「超平和バスターズ」の集合写真

 なぜかそっぽを向くゆきあつ
 
 その視線の先にはじんたん(察し)


@シール


 最初に「あの花」を見た時は

 めんまがシールを確認する場面が一番感動した


 遡ること「超平和バスターズ時代」
 
 めんまから「おそろいにしよ」と貰ったシール

 それを一度は剥がそうとしたあなる

 時は過ぎて『現在』

 オモチャに貼られたそのシールにはセロテープで修正された痕がある

 ためらい傷なのか経年劣化なのかはわからないが

 大切なのは保存された事実じゃなくて

 残そうとした心意気



@つるこがノートを残した意味

 (わから)ないです。

 かまって欲しかったんじゃない?(適当)



@じんたんの第二話の変化観

 ぽっぽを見てふとこぼす

 「変わってないなぁ」(笑顔)

 相変わらず変化を憎んでいる

 あなるに対しても「変わっていない」ことを軸にして評価

 うーんこの思い出とデート糞野郎 


@あなるは現在のじんたんのどこが好きなのか問題

 「超平和バスターズ時代」のじんたんを好きになるのは

 まあいいとして


 現在のじんたんのどこに頬を染める要素があるのか

 特に2話ではゲームしかやってないぞ彼

 あなるはバカだった…!?

 ケーブルをつなぐ(意味深)時の肘の触れ合いが

 赤い実弾けた原因だろうけど

 おじさんにはよくわかんねえよ

 未だに頭の中が「あの夏」で止まってるから

 あなるはじんたんのことが好きなんだろう
 
 あなるとじんたんの変化観とあの夏コンプレックス度はまだ一致している



@正ヒロインとしてのじんたん父
 
 食欲が無い←かわいくない

 成長期←かわいい


 じんたん父は「生きる」ことに消極的なものは「かわいくない」と判断して

 積極的なものは「かわいい」としている?




@転倒


 「明日があるのなら、謝るのはゆっくりでもいい」 byじんたん


 違うだろ宿海くん。原因と結果をひっくり返しちゃいかんよ。秩父のプラトニストが。

 宿海くん。君が望んでいるのはこうだろう

 
 「謝らないかぎり、明日はある」

 
 じんたんの闇は深い…


2015年6月22日月曜日

あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない 第一話 感想


@再視聴だし まずは突き放した感想

 夏にセミが鳴いてても『じんたんの止まった時間』感は出ないと思うの

 だってみんなに聞こえてるんだから

 あとネットスラングとかヲタク文化のなぞり方がほんとに表層的で

 そりゃツイッタラーに人気は出るわ

 

@めんまは幽霊なんだろうか

  幽霊の定義は文化によるけど

  じんたんにとって、めんまは喋るし触れるし意思の疎通も出来る

  これが幽霊だって言うならみんな幽霊だろ!いい加減にしろ!!

  めんまが居る限りじんたんの死生観はもうボロボロ

  めんまが自宅に帰る場面は本当に残酷で
 
  死者をもう一度殺すような畜生行為にしか見えない
 
  あと冷めた家庭描写がド下手くそ


@ゆきじん

 じんたんの『めんま』発言にブチ切れるゆきあつに胸熱

 やっぱ好きなんすねぇ…

 
@あなるが爪を見つめる場面

 あれはどういう意味なんだろう

 「マニキュアしたのに気づけよ」ってことだろうか

 あるいは

 「じんたんに会うからってマニキュアした私バカじゃないの(呆れ)」

 っていう照れなんだろうか


 それにしても、あなるってアダ名は秀逸

 これで「アダ名を呼び合うのが恥ずかしい」ってのを力づくで説明してるから

 あなると呼ばれる限り安城はじんたんだいしゅきメガネ女児に戻る
  
 あなると呼ばれるたびに安城は「あの夏」に貼付けされる

 アダ名とは呪いでもある

 アダ名で呼ぶことは安城ではなくあなるとして存在しろと命じていることだから


@変化 みっともない ギャップ

 あなるはじんたんの変わりようをみっともないと切り捨て

 じんたんは俺もお前らも変わったと腐る

 ぽっぽは人妻のギャップに萌える

 変化に対しての三者三様ですね

 あなるは『人は変われる。変化しないものはクソ』って考えで

 じんたんは『人は変わるべきじゃない。変化する奴はクソ』

 ぽっぽは『人は変わる。でも戻る』ことに興奮している

 

@あなるの変化観 一話の段階

 昔は輝いてたじんたんが落ちぶれてガッカリ

 今は輝いてる私サイコー

 人は変われるんだから、じんたんもあの頃にもどって><


 変化に関して肯定的に見えるけど

 プラスの変化しか肯定してない

 変化オールオッケーなら屑化したじんたんも認めるべきなのに

 あなるは『あの夏』の輝いていた、じんたんしか望んでいない

 そういう意味では、あなるも、まだ『あの夏』に縛られている


@じんたんの変化観 一話の段階

 
 昔は輝いてた自分が落ちぶれてガッカリ

 今は輝いてる他の奴らサイテー

 変わるような奴はクソ、この世界が『あの夏』に戻ればなぁ


 じんたんは変化を憎んでいる

 『めんまに謝れる明日』を渇望しているが

 それは過去にしか無い

 なぜなら謝ることは過去を消すことだから

 めんまに謝りたいだけなら冒頭で謝ってる

 じんたんにとってはめんまへの謝罪はまだ口実で

 ただ単に自分が輝いていた『あの夏』に戻りたいだけ

 今 この瞬間に存在するめんまよりも『あの夏』のめんまに会いたがっている

 言うまでもなくじんたんは『あの夏』に縛られている

 


@ぽっぽの変化観 一話の段階

 人は変わる 自分の体型がその証明だ

 人は戻る 自分の現在位置がその証明だ


 ぽっぽは髪型も体つきも『あの夏』の頃から、ガラッと変わった

 これは変化の体現である

 変貌を遂げたぽっぽは、あの『超平和バスターズ』の小屋に戻ってきた

 これが人は戻ることの体現である

 ギャップに萌えるとは変化の前後を維持することだ

 変わってそのままならギャップは無い。

 乱れた団地妻が翌日は素知らぬ顔で旦那の弁当を作るから萌えるのであって

 ずっと乱れっぱなしなら団地妻の設定の意味が無い

 非エロがエロいという興奮は常に非エロという前提を持つ

 つまり変化する前を前提にして初めて成り立つ興奮なのだ

 ぽっぽが変化に関しては、一番達観している。