2015年9月2日水曜日

誰が学校を殺したのか


人は育てたようには育たないが

人は言われた通りには育つ


『バカ』と叱られ続けた人は実際にバカに育つ

『嘘つき』と罵られ続けたものは実際に嘘つきに成る

『つまらない』と言われ続けた学校は実際につまらなくなった

誰が学校を『つまらない』と言い出したのか?

大人たちだ

なぜ大人には学校がつまらないのか

大人は学校に戻れないからだ


大人の八割は嫉妬で出来ている

学校が社会に優っているのは

学校には大人が居ないからだ

大人と関わりたがるのは子供だけだ

巣立った今となっては宿題すら恋しい

世の中には宿題すら与えられない大人であふれている

そして追憶は暴力に成る

自分がくぐれない校門を持つすべての場所を大人は呪いだす

学校はつまらない と 呪いだす

そして学校は本当につまらなくなってしまった

呪いとは願い事と一緒でいつかは必ず叶うものである


大人とは社会と家庭を愛し学校を憎む生き物だ

『社会人』という首輪を突起物にぶら下げて

目に入る『学生』に片っ端から噛み付く生き物だ

学校の教育は社会では役に立たないと蔑まれる

学校の先生は子供を本当に愛していないと家庭に舐められる

学校は常に社会と家庭の噛ませ犬に成っていた

そんな学校に子供が行きたがらないのは当たり前だ


『楽しい学校』という神話を守ってきたのはヲタク達だ

『楽しい学校』を描いた作品は星の数ほど有る

その作品たちを「目がでかすぎる」等とバカにしていた大人たちは

学校に対して何をしていたのか?

どちらが青少年の教育に害を成しただろうか?


たしかに学校という制度に問題は多い

数多の教師の不祥事は許せたものではない

しかし学校という制度は守らなければならない

今の日本に『良い教師』が一人も居ないとしても学校制度は守らなければならない

なぜならば、良い教師も悪い教師も学校という根から咲いた花なのだから

見せびらかすなら花だけでいいが

来年もその花を見たいなら根を守らなければならない

人の命は線香花火より短い

だから私たちは制度を作り守るのだ


学校の価値は良い教師の量で決まるものではない

学校の価値とは学校という場所そのものだ

学校は『血のつながり以外のつながり』を教える

親以外の大人を知り

自分の家とは違う家を知る

両親を相対的に見るようになり家庭の異常や世間の常識も知るように成る

家以外の逃げ場を知るようになる

学校の有る世界は悲惨かもしれないが

家しかない世界のほうがもっと悲惨だ


いまさら大人にできることは腐るほど有るが

喫緊ですべきことは『学校は楽しい』と言うことだ

言い続けることだ

『つまらない』と言われる場所で働こうと思うお人好しはいない

まずは教師を呼び戻すことだ

ある場所を楽しくするなんてことは天才にしか出来ないが

天才を呼ぶことは凡人にしか出来ない

だから私たちは『学校は楽しい』と願いながら言い続けるべきだ

願いごととは呪いと一緒でいつかは必ず叶うものだから

























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